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絵の並びについては、上の方が古い出来事で、下に行くほど新しい出来事です。

大正時代(1912年 - 1926年)

友愛会(ゆうあいかい)
友愛会(ゆうあいかい)

1912年に鈴木文治らが集まって組織された労働者団体。労働者の団結と解放を主張した。

当初は共済組合的なものであり、労働組合ではなかったが、次第に労働組合としての性格が強くなり、1919年には大日本労働総同盟友愛会に、1921年には日本労働総同盟に改称された。

鈴木文治(すずきぶんじ)
鈴木文治(すずきぶんじ)

1885年 - 1946年

政治家。労働運動家。

友愛会の創始者。

日本の労働運動の草分け的存在と言われる。


第3次桂太郎内閣(だいさんじかつらたろうないかく)
第3次桂太郎内閣(だいさんじかつらたろうないかく)

1912年12月21日 - 1913年2月20日

桂太郎が第15代内閣総理大臣として任命された内閣。

「なんか日本の政治は討幕運動で功績をあげた奴らが牛耳ってるよね。マジでむかつく。もっと民主的な政治をしろよ」っていう運動(第一次護憲運動)によって倒された(大正政変)。

尾崎行雄(おざきゆきお)
尾崎行雄(おざきゆきお)

1858年 - 1954年

立憲政友会の尾崎行雄と立憲国民党の犬養毅らは、お互いに協力して第3次桂太郎内閣打倒のために戦う。(第一次護憲運動)。


犬養毅(いぬかいつよし)
犬養毅(いぬかいつよし)

1855年 - 1932年

立憲国民党の犬養毅らは立憲政友会の尾崎行雄とお互いに協力して第3次桂太郎内閣打倒のために戦う。(第一次護憲運動)。

第1次山本権兵衛内閣(だいいちじやまもとごんべえないかく)
第1次山本権兵衛内閣(だいいちじやまもとごんべえないかく)

1913年2月20日 - 1914年4月16日

山本権兵衛が第16代内閣総理大臣として任命された内閣。

大正政変を受けて成立した。

1913年に軍部大臣を現役の武官(軍人)に限定していた軍部大臣現役武官制の現役規定を削除し、非現役でも大将、中将であればよいとした。この改正により軍部の内閣への影響力を弱めようとした。


東京駅(とうきょうえき)
東京駅(とうきょうえき)

1914年

1914年(大正3年)12月20日に東京駅が開業した。

第2次大隈重信内閣(だいにじおおくましげのぶないかく)
第2次大隈重信内閣(だいにじおおくましげのぶないかく)

1914年4月16日 - 1916年10月9日

大隈重信が第17代内閣総理大臣として任命された内閣。

工場労働者の保護を目的とした工場法を施行した。第一次世界大戦中の1915年、中国に対して二十一か条要求という利権拡大要求を行った。不平等条約の改正条約の妥協案として外国判事を大審院(最高裁判所)に任用することを認める改正案を進めたが、爆弾テロで負傷した。その後、国民の支持が衰え辞職した。


第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)

1914年7月28日 - 1918年11月11日

7千万以上の軍人が動員され、史上最大の戦争の一つとなった。戦争は世界全ての経済大国を巻き込み、それらを連合国(ロシア帝国、フランス第三共和政、グレートブリテン及びアイルランド連合王国の三国協商に基づく)と中央同盟国(主にドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国)という2つの陣営に二分した。日本は連合国側についた。戦争は連合国側の勝利となった。

第一次世界大戦期に日本は貿易の輸出超過などを背景に、日露戦争後の慢性不況を克服して「大戦景気」を謳歌した。なかでも海運業や造船業は世界的な船舶不足を背景に活況を呈し、日本は世界第3位の海運国に成長した。

全国中等学校優勝野球大会(ぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい)
全国中等学校優勝野球大会(ぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい)

1915年に全国中等学校優勝野球大会が始まり、その後ラジオ放送などを介して人気を集めた。


吉野作造(よしのさくぞう)
吉野作造(よしのさくぞう)

1878年 - 1933年

政治学者、思想家。

中央公論に何度か寄稿。中でも1916年に同誌に寄稿した評論「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」は吉野の代表作となり、大正デモクラシーの代表的な論客となった。国民がいかに執政者を選択し、かつ監督すべきかという民本主義(みんぽんしゅぎ)を主張した。

中央公論(ちゅうおうこうろん)
中央公論(ちゅうおうこうろん)

1887年に日本で創刊され、現在も発行されている、月刊総合雑誌。現在は中央公論新社が発行する。大正期には吉野作造の政治評論をはじめ、自由主義的な論文を多く掲載し、大正デモクラシー時代の言論をリードした。


寺内正毅内閣(てらうちまさたけないかく)
寺内正毅内閣(てらうちまさたけないかく)

1916年10月9日 - 1918年9月29日

寺内正毅が第18代内閣総理大臣に任命された内閣。

シベリア出兵を見込んだ米の買い占めや売り惜しみを背景とし、1918年に富山県の主婦たちの行動がきっかけで米騒動が全国に広がり、政府は鎮圧のために軍隊を出動させた。責任を追及された寺内正毅内閣は総辞職した。

河上肇(かわかみはじめ)
河上肇(かわかみはじめ)

1879年 - 1946年

経済学者。

京都帝国大学でマルクス経済学の研究を行っていたが、その後教職を辞し、日本共産党の党員となった。カール・マルクス『資本論』の翻訳(第一巻の一部のみ翻訳)やコミンテルン三十二年テーゼの翻訳のほか、1917年に出版したベストセラー『貧乏物語』の他に、『第二貧乏物語』『資本論入門』の著作がある。死後に刊行された『自叙伝』は広く読まれた。


本田光太郎(ほんだこうたろう)
本田光太郎(ほんだこうたろう)

1870年 - 1954年

物理学者。金属工学者(冶金学者)。

磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。KS鋼は1917年に発明。新KS鋼は1934年に発明。

米騒動(こめそうどう)
米騒動(こめそうどう)

1918年

シベリア出兵を見越した米の買い占めによる米価の急騰に伴う暴動事件、米騒動。


原敬内閣(はらたかしないかく)
原敬内閣(はらたかしないかく)

1918年9月29日 - 1921年11月13日

原敬が第19代内閣総理大臣に任命された内閣。

日本初の本格的政党内閣と言われる。

アメリカの呼びかけに応じ、原敬内閣はワシントン会議への参加を決めた。

原敬が1921年に暗殺されたことにより総辞職。

孫秉煕(ソン・ビョンヒ)
孫秉煕(ソン・ビョンヒ)

1861年 - 1922年

天道教の大3代教主、朝鮮の独立運動家。

1919年に朝鮮の独立運動である三・一独立運動を主導したが鎮圧された。


三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)
三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)

1919年

朝鮮民族が起こした反日独立運動。日本は武力で鎮圧した。

朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)
朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)

三・一独立運動を鎮圧したのち、朝鮮総督府は「武断統治」への批判の高まりを受け憲兵警察制度(陸軍の憲兵が一般の警察をも兼ねる制度)を廃止した。


平塚らいてう(ひらつからいちょう)
平塚らいてう(ひらつからいちょう)

1886年 - 1971年

思想家、評論家、作家、フェミニスト、女性解放運動家。1919年には日本初の婦人団体である新婦人協会を設立。戦後は反戦・平和運動に参加した。平塚が世に出した言葉として「『元始、女性は太陽であった』が有名。

市川房枝(いちかわふさえ)
市川房枝(いちかわふさえ)

1893年 - 1981年

婦人運動家。政治家。第二次世界大戦の前後に渡り、日本の婦人参政権運動(婦人運動)を主導した。1919年には平塚らいてうと共に日本初の婦人団体である新婦人協会を設立。


新婦人協会(しんふじんきょうかい)
新婦人協会(しんふじんきょうかい)

1919年 - 1922年

婦人の社会的・政治的権利獲得を目指し、平塚らいてう、市川房枝らを中心に結成された日本初の婦人団体。

大日本労働総同盟友愛会(だいにほんろうどうそうどうめいゆうあいかい)
大日本労働総同盟友愛会(だいにほんろうどうそうどうめいゆうあいかい)

1919年

労働者団体である友愛会は1919年に大日本労働総同盟友愛会に改称した。


メーデー
メーデー

メーデーとは労働者の祭典のこと。日本では1920年に第一回のメーデーが大日本労働総同盟友愛会を中心に上野公園で行われた。

国際連盟(こくさいれんめい)
国際連盟(こくさいれんめい)

1920年に発足した国際機関。史上初の国際平和機構。

イギリス・フランス・日本・イタリアが常任理事国。後ににドイツ国、ソヴィエト社会主義共和国連邦も加盟と同時に常任理事国となった。

アメリカは上院の反対で国際連盟に参加しなかった。


石橋湛山(いしばしたんざん)
石橋湛山(いしばしたんざん)

1884年 - 1973年

ジャーナリスト、政治家、教育者。

東洋経済新報の記者として活躍。大正デモクラシーにおけるオピニオンリーダーの一人として、いち早く「民主主義」を提唱する。また三・一独立運動をはじめとする朝鮮における独立運動に理解を示したり、1920年代には帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張する(小日本主義)など、リベラルな言論人として知られる。戦後、首相になる。

原敬暗殺(はらたかしあんさつ)
原敬暗殺(はらたかしあんさつ)

1921年11月4日

第19代内閣総理大臣の原敬は、東京駅丸の内南口コンコースにて、大塚駅の駅員であった右翼青年・中岡艮一に襲撃され、殺害された。

これにより原敬内閣は総辞職した。


四カ国条約(しかこくじょうやく)
四カ国条約(しかこくじょうやく)

1921年

ワシントン会議においてアメリカ合衆国の主導により米英仏日間で調印された条約。「4か国条約」と表記することもある。各国が太平洋方面にもつ属地や領土・権益の相互尊重、および、それに起因する国際問題の平和的処理の仕方について定められた。

日本労働総同盟(にほんろうどうそうどうめい)
日本労働総同盟(にほんろうどうそうどうめい)

1921年

労働組合の全国組織。1921年にそれまでの大日本労働総同盟友愛会から日本労働総同盟に改称された。


久津見房子(くつみふさこ)
久津見房子(くつみふさこ)

1890年 - 1980年

ソビエト連邦のスパイ。社会運動家。社会主義者。1921年に日本で初の女性による社会主義団体「赤瀾会(せきらんかい)」を設立。

九カ国条約(きゅうかこくじょうやく)
九カ国条約(きゅうかこくじょうやく)

1922年

ワシントン会議に出席した九カ国(アメリカ合衆国・イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ベルギー・ポルトガル・日本・中華民国)で締結された条約。「9か国条約」と表記することもある。この条約は、中国に関する条約であり、門戸開放・機会均等・主権尊重の原則を包括し、日本の中国進出を抑制するとともに中国権益の保護を図ったものである。


賀川豊彦(かがわとよひこ)
賀川豊彦(かがわとよひこ)

1888年 - 1960年

キリスト教社会運動家、社会改良家。

1921年以降に盛んになっていた小作争議(農民(小作農)が、地主に対して小作料の減免や様々な条件改善を求めて起こした争議)を背景に、1922年、杉山元治郎とともに日本農民組合を設立し、小作料の減免や耕作権の確立などを求めた。

杉山元治郎(すぎやまもとじろう)
杉山元治郎(すぎやまもとじろう)

1885年 - 1964年

政治家、農民運動家、牧師。

1921年以降に盛んになっていた小作争議(農民(小作農)が、地主に対して小作料の減免や様々な条件改善を求めて起こした争議)を背景に、1922年、賀川豊彦とともに日本農民組合を設立し、小作料の減免や耕作権の確立などを求めた。


尾崎行雄(おざきゆきお)
尾崎行雄(おざきゆきお)

1858年 - 1954年

1922年、革新倶楽部を結成。

犬養毅(いぬかいつよし)
犬養毅(いぬかいつよし)

1855年 - 1932年

1922年、革新倶楽部を結成。


革新倶楽部(かくしんくらぶ)
革新倶楽部(かくしんくらぶ)

日本の帝国議会における大正時代の政党。1922年11月8日、立憲国民党を解党した犬養毅、尾崎行雄、島田三郎、古島一雄らを中心に46名で結成された。

団琢磨(だんたくま)
団琢磨(だんたくま)

1858年 - 1932年

工学者・実業家。

アメリカで鉱山学を学び、三井財閥で三池炭鉱の経営を成功させ、三井財閥の総帥となった。1922年に井上準之助とともに日本経済聯盟会(日本経済団体連合会の前身)を設立し、翌年に同理事長、1928年には同会長となり、名実ともに日本経済界の旗振り役となる。


井上準之助(いのうえじゅんのすけ)
井上準之助(いのうえじゅんのすけ)

1869年 - 1932年

政治家。財政家。日本銀行第9、11代総裁。

1922年に当時日本銀行総裁であった井上準之助は団琢磨とともに日本経済聯盟会(日本経済団体連合会の前身)を設立した。

第2次山本権兵衛内閣(だいにじやまもとごんべえないかく)
第2次山本権兵衛内閣(だいにじやまもとごんべえないかく)

1923年9月2日 - 1924年1月7日

山本権兵衛が第22代内閣総理大臣に任命された内閣。

1923年8月24日の加藤友三郎首相の急逝、同年9月1日の関東大震災発生という混乱状態の最中で組閣された。1923年12月27日に発生した虎の門事件の影響で総辞職した。


虎の門事件(とらのもんじけん)
虎の門事件(とらのもんじけん)

1923年

1923年(大正12年)12月27日日本の東京市麹町区(現: 千代田区)虎ノ門外において皇太子・摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が無政府主義者の難波大助から狙撃を受けた事件。関東大震災後に頻発したテロ事件の一つで復興を進めていた第2次山本権兵衛内閣は、引責による総辞職を余儀なくされた。

清浦奎吾内閣(きようらけいごないかく)
清浦奎吾内閣(きようらけいごないかく)

1924年1月7日 - 1924年6月11日

清浦奎吾が第23代内閣総理大臣に任命された内閣。

ほぼ全閣僚を貴族院議員から選んだため(超然内閣)、政友会・憲政会・革新倶楽部の護憲三派が起こした第二次護憲運動により、わずか5ヶ月で総辞職となった。


加藤高明内閣(かとうたかあきないかく)
加藤高明内閣(かとうたかあきないかく)

1924年6月11日 - 1926年1月30日

加藤高明が第24代内閣総理大臣に任命された内閣。

1925年普通選挙法を成立させ、男子普通選挙を実現させたが、治安維持法も同時に成立させている。治安維持法は治安警察法で指定した運動だけでなく、共産主義などの思想の弾圧も目的とした。第一回男子普通選挙では共産党員が大量検挙され労働農民党などが解散させられた。

蒋介石(しょうかいせき)
蒋介石(しょうかいせき)

1887年 - 1975年

中華民国の政治家、軍人。孫文の後継者として1924年に結ばれた第一次国共合作(中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係)をベースに北伐(国民革命軍が北京政府や各地の軍閥と戦った戦争)を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となる。が、その後国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて台湾に移り、没した。


毛沢東(もうたくとう)
毛沢東(もうたくとう)

1893年 - 1976年

中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。

新劇(しんげき)
新劇(しんげき)

ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指す日本の演劇を指す。歌舞伎や新派の商業主義を批判し、芸術志向的な演劇を目指した。関東大震災後に作られた築地小劇場の活動により新劇運動が確立された。


築地小劇場(つきじしょうげきじょう)
築地小劇場(つきじしょうげきじょう)

1924年に開設した日本初の新劇の常設劇場。

キング
キング

1925年に大衆娯楽雑誌「キング」が創刊された。戦前の講談社の看板雑誌であるとともに、日本出版史上初めて発行部数100万部を突破した国民的雑誌。