History Blue

絵の並びについては、上の方が古い出来事で、下に行くほど新しい出来事です。

平安時代(794年 - 1185年/1192年)

蝦夷(えみし)
蝦夷(えみし)

日本連投の東方や北方などに住む人々の呼称。

伊治呰麻呂の乱(これはりのあざまろのらん)
伊治呰麻呂の乱(これはりのあざまろのらん)

伊治呰麻呂は奈良時代末期の蝦夷出身の武将。780年に胆沢地方(今の岩手県胆沢郡)平定のために伊治城におもむいた呰麻呂は、降伏した蝦夷で構成された軍をひきいて、突然反乱を起こした。以後、呰麻呂がどうなったかあきらかではない。


桓武天皇(かんむてんのう)
桓武天皇(かんむてんのう)

737年 - 806年

第50代天皇(在位:781年 - 806年)

784年に平城京から長岡京に都を移したんだけど、長岡京への遷移を主導していた藤原種継が暗殺された。暗殺に関わった一人として早良親王を処罰したんだけど、親王の死後、飢饉、疫病、親戚の相次ぐ死、伊勢神宮正殿の放火など様々な変事が起こったので、陰陽師に占わせたら「早良親王のタタリだね!」って言われて、ヤバげだったから、和気清麻呂にも勧められて794年平安京へ都を移した。

長岡京(ながおかきょう)
長岡京(ながおかきょう)

桓武天皇が784年に平城京から移した都。


藤原種継(ふじわらのたねつぐ)
藤原種継(ふじわらのたねつぐ)

737年 - 785年

長岡京の造営を主導したけど、暗殺されました。

早良親王(さわらしんのう)
早良親王(さわらしんのう)

750年? - 785年

皇族。藤原種継暗殺事件への関与を疑われて幽閉されたので「俺じゃねぇし!暗殺とかしねぇし!」って無実を訴えたけど、全然信じてくれなかったからマジ切れして食事を拒否して死にました。その後、長岡京をタタって祟ってたたりまくってやりました。


和気清麻呂(わけのきよまろ)
和気清麻呂(わけのきよまろ)

733年 - 799年

貴族です。794年に平安京へ都を移すことを提案しました。

平安京(へいあんきょう)
平安京(へいあんきょう)

794年に現在の京都市に移された都の名前。


平安時代(へいあんじだい)
平安時代(へいあんじだい)

794年 - 1185年/1192年頃

794年に桓武天皇が平安京に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指す。京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまでは政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。ちなみに年号の覚え方は「鳴くよ(794)ウグイス平安京」です。

束帯(そくたい)
束帯(そくたい)

平安時代以降の天皇以下公家の男性の正装。


衣冠(いかん)
衣冠(いかん)

平安時代以降の貴族や官人の宮中での男性の勤務服。

十二単(じゅうにひとえ)
十二単(じゅうにひとえ)

平安時代の女性用の装束。


馬借(ばしゃく)
馬借(ばしゃく)

馬を利用し、荷物を運搬する輸送業者。主に平安時代から戦国時代にかけて活躍した。

車借(しゃしゃく)
車借(しゃしゃく)

荷車を利用し、荷物を運搬する輸送業者。馬借と同時代に活躍した。


坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

758年 - 811年

こんにちは。坂の上の田村くんこと坂上田村麻呂です。征夷大将軍として蝦夷の反乱を抑えることなどに活躍しました。

荘園(しょうえん)
荘園(しょうえん)

奈良時代に出された墾田永年私財法によって、貴族、豪族、寺社などが私有地を増やしていきました。こうして増えた私有地は、税を逃れるために有力貴族に寄進され、名目上の所有者になってもらいました。この私有地を荘園といいます。


名(みょう)
名(みょう)

平安時代から中世の国衙領や荘園において徴税のために設けられた単位。

負名(ふみょう)
負名(ふみょう)

税の徴収を請け負った人のこと。課税単位へ編成された土地を名田(みょうでん)とい、名田経営を請け負った人が「負名」と呼ばれるようになりました。


最澄(さいちょう)
最澄(さいちょう)

766/767年 - 822年

サイのチョウチョこと最澄だよ。中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山に延暦寺を建てて、天台宗の開祖となったよ。

天台宗(てんだいしゅう)
天台宗(てんだいしゅう)

最澄が広めた宗教。覚え方は「サイのチョウチョの最澄が作った、台にチョウチョの羽が生えて天を目指す天台宗」です

参考
天台宗
天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]


空海(くうかい)
空海(くうかい)

774年 - 835年

空を意味する雲の顔と、海を意味するタコの身体を持った男、空海。中国に渡って密教を学び、帰国後、高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建てて、真言宗の開祖となったよ。

真言宗(しんごんしゅう)
真言宗(しんごんしゅう)

空海が広めた宗教。絵は、真の言葉を話しているイメージ。

参考
高野山真言宗 総本山金剛峯寺


嵯峨天皇(さがてんのう)
嵯峨天皇(さがてんのう)

786年 - 842年

第52代天皇(在位:809年 - 823年)。

文華秀麗集という勅撰漢詩集を作らせる。弘仁式という律令の補完のための法令集を作成させる。最末期には公営田・勅旨田の設置を行う。

文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)
文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)

818年

嵯峨天皇の勅命により編纂された勅撰漢詩集


弘仁式(こうにんしき)
弘仁式(こうにんしき)

818年

嵯峨天皇の時代に藤原冬嗣を総裁として編纂させた律令の補完のために出された法令をまとめた法令集。

藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)
藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)

775年 - 826年

公卿。歌人。

嵯峨天皇の時代に弘仁式の作成に関して主導的な役割を果たす。また、嵯峨天皇に蔵人頭に任命され、のちの摂関家の基礎を築いた。


小野岑守(おののみねもり)
小野岑守(おののみねもり)

778年 - 830年

貴族・文人。

財源獲得と窮民救済を目的として823年公営田(くえいでん)の導入を提案し、受け入れられた。

国司(こくし)
国司(こくし)

国司は地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏。地方に派遣された中央貴族国司になりました。


郡司(ぐんじ)
郡司(ぐんじ)

国司の下で郡を治める地方官を郡司といいます。地方豪族郡司になりました。

駅家(えきか/うまや)
駅家(えきか/うまや)

古代日本では中央と地方を結ぶ道路が整備され、その道路沿いに、一定間隔ごとに駅家という施設が置かれた。


田堵(たと)
田堵(たと)

平安時代に荘園・国衙領の田地経営をおこなった有力百姓層。

目代(もくだい)
目代(もくだい)

平安時代中期から鎌倉期に、国司が現地に私的な代官派遣した家人などの代理人のこと。


令義解(りょうのぎげ)
令義解(りょうのぎげ)

833年

律令の解説書。

藤原氏(ふじわらし)
藤原氏(ふじわらし)

「氏(し)」っていうのは「一族」みたいな意味で、要するに藤原一族のこと(正確には「藤原」を氏の名とする氏族)。「藤原一族とか知らねぇよ」って思ってるかも知れないけど飛鳥時代に大化の改新で活躍した藤原鎌足(中臣鎌足)を覚えてる?藤原氏はその子孫たちだよ。


藤原良房(ふじわらのよしふさ)
藤原良房(ふじわらのよしふさ)

804年 - 872年

公卿。藤原北家。左大臣・藤原冬嗣の次男。

皇族以外の人臣として初めて摂政の座に就きました。藤原北家全盛の礎を築いた存在であり、良房の子孫たちは相次いで摂関となりました。

承和の変で出世のライバルを蹴落としました。

摂政(せっしょう)
摂政(せっしょう)

天皇が幼い時や女性の時に天皇に代わって全ての政務を行った役職。


橘逸勢(たちばなのはやなり)
橘逸勢(たちばなのはやなり)

? - 842年

書家、貴族。

804年に最澄・空海らと共に遣唐使として唐に渡り、琴と書を学び、帰国後はそれらの第一人者となった。842年に謀反の疑いをかけられ、伊豆へ流罪となった(承和の変)。逸勢は伊豆へ護送中に病死した。

承和の変(じょうわのへん)
承和の変(じょうわのへん)

842年

藤原良房が皇位継承の問題に絡み、謀反の疑いなどで競争相手である他氏族の有力者、および同じ藤原氏の競争相手を流罪や失脚に追い込んだ事件。藤原氏による最初の他氏排斥事件といわれる。これにより、藤原氏は繁栄の基礎を築いた。橘逸勢は伊豆へ流罪となった。


清和天皇(せいわてんのう)
清和天皇(せいわてんのう)

850年 - 881年

第56代天皇(在位:858年 - 876年)。

清和天皇の時代に貞観式が編纂された。

貞観式(じょうがんしき)
貞観式(じょうがんしき)

清和天皇の時代に編纂された、律令の補完のために出された法令をまとめた法令集。


藤原冬緒(ふじわらのふゆお)
藤原冬緒(ふじわらのふゆお)

808年 - 890年

公卿。

政府の財源確保を目的に879年官田(かんでん)の設置を提案し、元慶官田(がんきょうかんでん)が設置された。

藤原基経(ふじわらのもとつね)
藤原基経(ふじわらのもとつね)

808年 - 891年

公卿。

摂政であった叔父・藤原良房の養子となり、良房の死後、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の四代にわたり朝廷の実権を握った。陽成天皇を暴虐であるとして廃し、光孝天皇を立てた。次の宇多天皇のとき阿衡の紛議を起こして、その権勢を世に知らしめた。天皇から大政を委ねられ、日本史上初の関白に就任した。


関白(かんぱく)
関白(かんぱく)

天皇が成人した後も天皇を補佐する役職。

摂関政治(せっかんせいじ)
摂関政治(せっかんせいじ)

藤原氏が娘を天皇のきさきにして外戚関係(がいせきかんけい。母方の親戚のことを外戚という)になり、摂政や関白などの要職を独占して実権を握り、天皇にかわっておこなった政治のこと。


円珍(えんちん)
円珍(えんちん)

814年 - 891年

天台宗の僧。

唐に渡って密教を学び、帰国後、天台宗の密教化を進めた。

在原業平(ありわらのなりひら)
在原業平(ありわらのなりひら)

825年 - 880年

貴族。歌人。六歌仙の一人。三十六歌仙の一人。

『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。


伊勢物語(いせものがたり)
伊勢物語(いせものがたり)

平安時代初期に成立した歌物語。在原業平を主人公とした物語とされる。

宇多天皇(うだてんのう)
宇多天皇(うだてんのう)

867年 - 931年

第59代天皇(在位:887年 - 897年)。

私が天皇に即位して間もない時に藤原基経に引き続き関白としての役割をお願いする手紙を送ったんだけど「記述内容が一部無礼!マジでやってられない!」ってなんかいきなり基経がキレて仕事放棄されて国政が停滞したよ。なんとか気分を直してもらおうとメッチャ丁寧な手紙書いても拒否されるし。讃岐守の菅原道真さんが説得したら、ようやく基経が怒りを収めたよ。この事件(阿衡の紛議)により基経は藤原氏の権力の強さを世に知らしめたよ。基経マジむかつく!


阿衡の紛議(あこうのふんぎ)
阿衡の紛議(あこうのふんぎ)

887年 - 888年

宇多天皇が藤原基経に関白を頼もうと左大弁の橘広相に手紙を書かせたんだけど、その手紙に「中国の阿衡さんのように任についてほしい」っていう風に中国の故事を引用したら、文章博士の藤原佐世が「阿衡は地位は高いけど、仕事はしてない」って藤原基経に告げ口して基経がブチギレて仕事を拒否した事件。国政が停滞した。正直、橘広相に悪意はないし、むしろこじつけでブチ切れてる基経が悪いんだけど、もうどうしようもないから宇多天皇は全く悪くない橘広相を泣く泣く罷免した。さらに菅原道真の説得で、ようやく基経が怒りを収めた。基経はこれにより藤原氏の権力の強さを世に知らしめた。

菅原道真(すがわらのみちざね)
菅原道真(すがわらのみちざね)

845年8月1日 - 903年

学者、政治家。

唐の混乱や日本文化の発達を理由にして894年に遣唐使を廃止したよ。当時の天皇に気に入られて学者としては珍しく出世しまくったから、他の貴族に嫉妬されて901年に九州の大宰府へ役人として飛ばされて、のち亡くなったよ。そしたら、都で疫病や天災が相次いで「菅原道真のタタリでは!?」と言われて、タタリを鎮めるために太宰府天満宮が作られたよ。

参考
太宰府天満宮


国風文化(こくふうぶんか)
国風文化(こくふうぶんか)

遣唐使が廃止されたことをきっかけとして生まれた、日本の風土に合った日本独自の文化のこと。

仮名文字(かなもじ)
仮名文字(かなもじ)

漢字から作られ、女性の間で流行った文字。


醍醐天皇(だいごてんのう)
醍醐天皇(だいごてんのう)

885年 - 930年

第60代天皇(在位:897年 - 930年)。

摂関を置かずに親政(天皇自ら政治を行うこと)を行った。

紀貫之(きのつらゆき)
紀貫之(きのつらゆき)

866/872年頃 - 945年?

歌人・貴族。覚え方は、木の顔と雪の体を持つ「きのつらゆき(木の顔雪)」。『古今和歌集』の選者の一人。『土佐日記』を書く。


古今和歌集(こきんわかしゅう)
古今和歌集(こきんわかしゅう)

日本最古の勅撰和歌集(天皇の命令によって作られた歌集)。「勅撰(ちょくせん)」には「天皇や上皇の命令によって文章を編纂すること」みたいな意味がある。

紀貫之が中心となって編纂した。覚え方は『木の顔と雪の体を持つ「きのつらゆき(木の顔雪)」が雪の力を使って書いた、触るとコキンと固まるほど冷たい和歌集』です。

朱雀天皇(すざくてんのう)
朱雀天皇(すざくてんのう)

923年 - 952年

第61代天皇(在位:930年 - 946年)。

朱雀天皇の時代、藤原忠平が摂関として取り仕切っていた。


藤原忠平(ふじわらのただひら)
藤原忠平(ふじわらのただひら)

880年 - 949年

公卿。藤原基経の四男。

朱雀天皇の時代に摂政、関白として実権を握り、村上天皇の初期まで長く政権の座にあった。

土佐日記(とさにっき)
土佐日記(とさにっき)

935年ごろ作られた、日記文学。日本最初の日記文学とされ「かな」で書かれている。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事をジョークを交えて綴ったもの。


下人(げにん)
下人(げにん)

平安中期以降、貴族、寺社、武士、名主らの家内で使役された私的隷属民のこと。

武士(ぶし)
武士(ぶし)

戦いを職業とする人。この時代あたりから「武士」と呼べる存在が成立した。


高麗(こうらい)
高麗(こうらい)

918年 - 1392年

この頃に朝鮮半島を統一した王朝。

藤原純友(ふじわらのすみとも)
藤原純友(ふじわらのすみとも)

893年? - 941年

貴族であり海賊でもある藤原純友だよ!939年に瀬戸内海で武士を率いて反乱を起こしたよ!


平将門(たいらのまさかど)
平将門(たいらのまさかど)

? - 940年

顔が平ら(たいら)の平将門!関東の豪族だよ!935年に関東地方で武士を率いて反乱を起こしたよ!

承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)
承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)

平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱と瀬戸内海の藤原純友の乱の総称。先に平将門の乱が鎮圧され、その後、藤原純友の乱が鎮圧された。


村上天皇(むらかみてんのう)
村上天皇(むらかみてんのう)

926年 - 967年

第62代天皇(在位:946年 - 967年)。

摂関を置かずに親政(天皇自ら政治を行うこと)を行った。

空也(くうや)
空也(くうや)

903年 - 972年

僧。市聖(いちのひじり)、阿弥陀聖(あみだひじり)と称される。諸国を廻った後、京都に落ち着き布教。民間における浄土教の先駆者と評価される。


藤原道長(ふじわらのみちなが)
藤原道長(ふじわらのみちなが)

966年 - 1028年

こんばんは。藤原道長だよ。この道、長くない?摂関政治の全盛期に「この世は自分のためにあるようなものだ。満月のように、欠けているものなど何一つない(この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば)」という歌を読んで調子に乗りまくってました。

御堂関白記(みどうかんぱくき)
御堂関白記(みどうかんぱくき)

藤原道長が著した日記。現存する世界最古の直筆日記。国宝。ユネスコ記憶遺産。


慶滋保胤(よししげのやすたね)
慶滋保胤(よししげのやすたね)

933年以後 - 1002年

貴族。文人。儒学者。

『日本往生極楽記』を編纂した。

日本往生極楽記(にほんおうじょうごくらくき)
日本往生極楽記(にほんおうじょうごくらくき)

985年~987年ごろに成立した。慶滋保胤が編纂した往生伝。聖徳太子など45人の往生の伝記を集めたもの。


源信(げんしん)
源信(げんしん)

942年 - 1017年

天台宗の僧。

985年に『往生要集』を脱稿した。

往生要集(おうじょうようしゅう)
往生要集(おうじょうようしゅう)

985年に源信が書いた、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書。後の文学思想に大きな影響を与えた。


藤原行成(ふじわらのゆきなり)
藤原行成(ふじわらのゆきなり)

972年 - 1028年

公卿。書道世尊寺流の祖。

一条天皇、藤原道長の両方に信任された。

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)
藤原隆家(ふじわらのたかいえ)

979年 - 1044年

公卿。

1019年に大宰府で刀伊の入寇に応戦し、これを撃退した。


刀伊の入寇(といのにゅうこう)
刀伊の入寇(といのにゅうこう)

1019年

女真族(満州民族)の一派とみられる海賊が壱岐・対馬・北九州を襲撃した事件。刀伊とは女真族のこと。藤原隆家らの活躍で撃退された。

紫式部(むらさきしきぶ)
紫式部(むらさきしきぶ)

生没年不詳

平安時代中期の女性作家。歌人。「源氏物語」を書いたことで有名。


源氏物語(げんじものがたり)
源氏物語(げんじものがたり)

「光源氏」っていう人が、ただひたすらモテてモテてモテまくる話。

紫式部が書いた。

清少納言(せいしょうなごん)
清少納言(せいしょうなごん)

966年頃 - 1025年頃

平安時代中期の女流作家、歌人。

随筆「枕草子」を書いたことで有名。


枕草子(まくらのそうし)
枕草子(まくらのそうし)

「春なら夜明けが好き。徐々に白くなっていく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのとかマジで好き。夏は夜が好き。満月の頃は言うまでもなく、新月の頃でも、ホタルが飛びちがっているのとか、良い感じじゃない?」と、ただひたすら自分が好きなものに関して書いてる随筆。

清少納言が書いた。

定朝(じょうちょう)
定朝(じょうちょう)

? - 1057年

仏師。

寄木造技法の完成者とされ、定朝以降に仏像の量産と大型化が進んだ。


藤原頼通(ふじわらのよりみち)
藤原頼通(ふじわらのよりみち)

992年 - 1074年

公卿・歌人。

こんにちは!寄り道大好き!藤原頼通です!藤原道長の長男です!宇治に平等院鳳凰堂を建てたよ!

平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)
平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)

京都府宇治市に藤原頼通が建てた寺院。この時期「仏教の教えが廃れて世の中が乱れる時代が始まる」という思想(末法思想)が広まり、極楽浄土に行くために盛んに寺院・絵・彫刻などが作られた。平等院鳳凰堂もそれらのうちの一つである。現在は世界遺産に登録されている。

参考
世界遺産 平等院


後三条天皇(ごさんじょうてんのう)
後三条天皇(ごさんじょうてんのう)

1034年 - 1073年

第71代天皇(在位:1068年 - 1073年)。

宇多天皇以来170年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇。

違法荘園の整理のために1069年延久の荘園整理令を発布し、その審査を行う機関として記録荘園券契所を設置した。

源氏(げんじ)
源氏(げんじ)

平安時代後期に二度に渡る蝦夷の反乱で活躍し関東地方に大きな勢力をもった武士団。絵は原始人(げんん)のイメージ。


平氏(へいし)
平氏(へいし)

平安時代後期に京都周辺から西日本にかけて大きな勢力を持った武士団。

院政(いんせい)
院政(いんせい)

天皇が皇位を譲った後も上皇となり、天皇に代わって政治を行うこと。上皇のことを院とも言うので、院政と言われる。


知行国主(ちぎょうこくしゅ)
知行国主(ちぎょうこくしゅ)

有力貴族・有力寺社・有力武家が特定の国の支配権を与えられ、その国から得た収益の大部分を得た。この国、および制度を知行国と言い、この支配権を得た者のことを知行国主という。

白河上皇(しらかわじょうこう)
白河上皇(しらかわじょうこう)

1053年7月7日 - 1129年

第72代天皇(在位:1073年 - 1087年)

こんにちは!白河上皇だよ!名前からして河を操る能力があるに違いない!1086年に上皇となって院政を始めたよ。


六勝寺(ろくしょうじ)
六勝寺(ろくしょうじ)

「法勝寺(ほっしょうじ)」「尊勝寺(そんしょうじ)」「最勝寺(さいしょうじ)」「円勝寺(えんしょうじ)」「成勝寺(じょうしょうじ)」「延勝寺(えんしょうじ)」の六つの御願寺。それぞれの寺は代々の天皇が一つずつ建立した。中でも一番最初に建てられた白河天皇による法勝寺は後に作られたものに比べて筆頭寺院として最大の規模を誇った。応仁の乱以降、全ての寺は廃絶した。

大鏡(おおかがみ)
大鏡(おおかがみ)

平安時代後期(白河院政期)に成立したとされている紀伝体の歴史物語。藤原氏の全盛期を批判的に描写した。


奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)
奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)

1087年から源頼朝に滅ぼされる1189年までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族。

中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)
中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)

奥州藤原氏が岩手県の平泉町に建立した、中尊寺にある仏像。

参考
金色堂 | 関山 中尊寺


富貴寺大堂(ふきじおおどう)
富貴寺大堂(ふきじおおどう)

富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた寺院。中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されている。院政期には地方でも阿弥陀堂が建てられた。

参考
富貴寺(ふきじ) | 観光スポット&お店情報 | 昭和の町・豊後高田市公式観光サイト

崇徳天皇(すとくてんのう)
崇徳天皇(すとくてんのう)

1119年 - 1164年

第75代天皇(在位:1123年 - 1142年)

こんにちは。崇徳天皇です。天皇の後、上皇になって、なんかいい感じに生活してたんだけど1156年7月29日に後白河天皇とケンカになって戦ったよ(保元の乱)。


後白河天皇(ごしらかわてんのう)
後白河天皇(ごしらかわてんのう)

1127年 - 1158年

第77代天皇(在位:1155年 - 1158年)

こんにちは。後白河天皇です。です。1156年7月29日に崇徳上皇とケンカになって戦ったよ(保元の乱)。

保元の乱(ほうげんのらん)
保元の乱(ほうげんのらん)

1156年

皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇と崇徳上皇に分裂し、双方の武力衝突に至った政変。後白河天皇が勝利した。この公家の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。


藤原頼長(ふじわらのよりなが)
藤原頼長(ふじわらのよりなが)

1120年 - 1156年

公卿。藤原忠実の三男。

保元の乱の際、崇徳上皇側についたが敗死した。

平清盛(たいらのきよもり)
平清盛(たいらのきよもり)

1118年 - 1181年

武将・公卿。

こんにちは。平氏の棟梁だよ。保元の乱で活躍して後白河天皇の信頼を得て、その後、平治の乱で最終的な勝利者となって、武士としては初めて太政大臣に任じられたよ。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通過経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てたよ。


源義朝(みなもとのよしとも)
源義朝(みなもとのよしとも)

1123年 - 1160年

河内源氏の武将。

こんにちは。義朝です。キャラクターは太陽のイメージ。東国武士団を率いて保元の乱で戦功を挙げ、左馬頭に任じられて名を挙げるが、3年後の平治の乱で藤原信頼に与して敗北し、都を落ち延びる道中尾張国で家人に裏切られ謀殺された。

藤原信頼(ふじわらののぶより)
藤原信頼(ふじわらののぶより)

1133年 - 1160年

公卿。

後白河天皇の寵臣として権力をふるうが、同じく上皇の近臣であったの信西と対立。源義朝と平治の乱を起こし信西を斬首し、朝廷の最大実力者となるが、二条天皇親政派と組んだ平清盛に敗北。六条河原で斬首された。


平治の乱(へいじのらん
平治の乱(へいじのらん

1160年

院近臣らの対立により発生した政変。平清盛が源義朝に勝利した。

宋(そう)
宋(そう)

960年 - 1279年

10世紀後半に中国を統一した王朝。


日宋貿易(にっそうぼうえき)
日宋貿易(にっそうぼうえき)

平清盛が中国と行った貿易。遣唐使が停止(894年)されて以来の日中交渉。また、清盛は貿易のための港を現在の神戸市に作った。輸入品は唐物として珍重されるようになった。

宋銭(そうせん)
宋銭(そうせん)

宋のお金。平清盛は日宋貿易を振興して宋から大量の宋銭を輸入し、平時政権の財政基盤にしようとした。だが、当時の日本は絹を財政基盤としていたので、反発があった。しかし、宋銭の便利さに押され、市場にも広く宋銭が流通するようになり、鎌倉時代には幕府も朝廷も公式に宋銭の使用を認めた。


大輪田泊(おおわだのとまり)
大輪田泊(おおわだのとまり)

兵庫県神戸市兵庫区に所在していた港。和田泊(わだのとまり)ともいう。日宋貿易日明貿易(勘合貿易)で栄えた。

朱子学(しゅしがく)
朱子学(しゅしがく)

この頃の中国で起こった、儒学をもとにした新しい学問。


厳島神社(いつくしまじんじゃ)
厳島神社(いつくしまじんじゃ)

広島県にある神社。平清盛が整備する以前から存在するが、平清盛が厚く崇敬し、大規模な社殿を整えた。ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

参考
国宝・世界遺産 嚴島神社 【公式サイト】

源頼朝(みなもとのよりとも)
源頼朝(みなもとのよりとも)

1147年 - 1199年

源義朝の三男だよ。平清盛の政治には貴族、寺社、武士がみな不満を抱いていたので、挙兵して、1185年に壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼし、鎌倉幕府の初代征夷大将軍になったよ。


壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)
壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)

1185年

源氏が平氏を滅ぼした戦い。絵は「階段の裏の戦い」。

源義経(みなもとのよしつね)
源義経(みなもとのよしつね)

1159年 - 1189年

武将。源頼朝の異母弟。

壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした。その後、頼朝と敵対し、自害した。


西行(さいぎょう)
西行(さいぎょう)

1118年 - 1190年

武士。僧侶。歌人。

歌集に「山家集」がある。

藤原隆信(ふじわらのたかのぶ)
藤原隆信(ふじわらのたかのぶ)

1142年 - 1205年

貴族・歌人・画家。

似絵(大和絵系の肖像画)の名手。