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昭和時代(1926年 - 1989年)

田中義一内閣(たなかぎいちないかく)
田中義一内閣(たなかぎいちないかく)

1927年4月20日 - 1929年7月2日

田中義一が第26代内閣総理大臣に任命された内閣。治安維持法を改正し、最高刑を死刑へと引き上げた。

日本の地下鉄(にほんのちかてつ)
日本の地下鉄(にほんのちかてつ)

1927年

東京に浅草 - 上野間を走る地下鉄が開通し、日本初の本格的な地下鉄とされた。


三・一五事件(さんいちごじけん)
三・一五事件(さんいちごじけん)

1928年3月15日

共産主義者がヤバい奴らっぽかったので、非合法の無産政党、および日本共産党などの活動員数千名を検束、約300名を検挙、約30名を治安維持法に基づき市ヶ谷刑務所に収監した事件。

蒋介石(しょうかいせき)
蒋介石(しょうかいせき)

1887年 - 1975年

中華民国の政治家、軍人。孫文の後継者として1924年に結ばれた第一次国共合作(中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係)をベースに北伐(国民革命軍が北京政府や各地の軍閥と戦った戦争)を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となる。が、その後国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて台湾に移り、没した。


毛沢東(もうたくとう)
毛沢東(もうたくとう)

1893年 - 1976年

中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。

戦旗(せんき)
戦旗(せんき)

1928年 - 1931年

日本の文芸雑誌。プロレタリア文学の作品の重要な発表舞台となっていた。

小林多喜二の『一九二八年三月十五日』『蟹工船』、徳永直の『太陽のない街』などの話題作を次々と掲載した。


浜口雄幸内閣(はまぐちおさちないかく)
浜口雄幸内閣(はまぐちおさちないかく)

1929年7月2日 - 1931年4月14日

浜口雄幸が第27代内閣総理大臣に任命された内閣。

外務大臣に幣原喜重郎を起用し協調外交を行う。井上準之助蔵相を起用して金解禁、緊縮政策、産業合理化を断行した。1930年ロンドン海軍軍縮条約を結んだが、右翼からの反感を買い、首相の浜口は銃撃され執務不能となった。幣原が臨時代理を務めたが、失言をきっかけに攻撃を受け、入院中の浜口が杖を突きながら復帰したが、病状の悪化により総辞職した。

井上準之助(いのうえじゅんのすけ)
井上準之助(いのうえじゅんのすけ)

1869年 - 1932年

日本の政治家。財政家。日本銀行第9、11代総裁。

浜口雄幸内閣の大蔵大臣として入閣し、1930年に金の輸出を解禁して金本位制に復帰する金解禁を行った。


ロンドン海軍軍縮会議(ろんどんかいぐんぐんしゅくかいぎ)
ロンドン海軍軍縮会議(ろんどんかいぐんぐんしゅくかいぎ)

1930年

イギリス、日本、アメリカ、フランス、イタリアの五大海軍国による軍縮会議。これによりロンドン海軍軍縮条約が結ばれたが、国内で条約への賛成派と反対派の対立構造が生まれ、条約に不満な者たちの中には血盟団事件、五・一五事件など後のテロ事件の首謀者らもいた。

満州事変(まんしゅうじへん)
満州事変(まんしゅうじへん)

1931年

柳条湖で1931年9月18日に起きた鉄道爆破事件に始まる日本の中国東北部への侵略戦争。翌年満州国独立を宣言した。


血盟団事件(けつめいだんじけん)
血盟団事件(けつめいだんじけん)

1932年

近県の青年を集めて政治活動を行っていた井上日召がテロリズムによって性急な国家改造計画を企てた連続テロ(政治暗殺事件)。政財界の要人が多数狙われ、井上準之助団琢磨が暗殺された。犯人たちはその後逮捕された。

井上準之助(いのうえじゅんのすけ)
井上準之助(いのうえじゅんのすけ)

1869年 - 1932年

日本の政治家。財政家。日本銀行第9、11代総裁。

1932年2月9日に暗殺された(血盟団事件)。


団琢磨(だんたくま)
団琢磨(だんたくま)

1858年 - 1932年

日本の工学者。実業家。男爵。三井財閥総裁。三井合名会社理事長。日本工業倶楽部初代理事長。

1932年3月5日に暗殺された(血盟団事件)。

斎藤実内閣(さいとうまことないかく)
斎藤実内閣(さいとうまことないかく)

1932年5月26日 - 1934年7月8日

斎藤実が第30代内閣総理大臣に任命された内閣。農業恐慌に対処するため1932年に農山漁村経済更生運動を行い農村の経済状態の改善を図った。


美濃部達吉(みのべたつきち)
美濃部達吉(みのべたつきち)

1873年 - 1948年

法学者。憲法学者。政治家。法政大学教員。東京帝国大学名誉教授。

天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。1935年に天皇機関説事件により貴族院議員を辞職した。

天皇機関説事件(てんのうきかんせつじけん)
天皇機関説事件(てんのうきかんせつじけん)

1935年

天皇機関説とは「統治権は法人である国家に属し、国の最高機関である天皇が国務大臣の輔弼を受けて行使する」として、軍事に関する天皇大権への内閣の権限を根拠づけた説だが、解釈学説が不敬であると軍部と野党が攻撃し、美濃部達吉は貴族議員を辞職した。


二・二六事件(ににろくじけん)
二・二六事件(ににろくじけん)

1936年2月26日 - 1936年2月29日

「武力をもって元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、政治腐敗や農村の困窮が解決する」と考えた陸軍青年将校らが下士官を率いて起こした日本のクーデター未遂事件。鎮圧された。

広田弘毅内閣(ひろたこうきないかく)
広田弘毅内閣(ひろたこうきないかく)

1936年3月9日 - 1937年2月2日

広田弘毅が第32代内閣総理大臣に任命された内閣。山本権兵衛内閣が廃止していた軍部大臣現役武官制を1936年に復活させた。


蒋介石(しょうかいせき)
蒋介石(しょうかいせき)

1887年 - 1975年

中華民国の政治家、軍人。

1936年に張学良らに拉致監禁される(西安事件(せいあんじけん))。色々あって事件収束して第二次国共合作がなされた。

張学良(ちょうがくりょう)
張学良(ちょうがくりょう)

1901年 - 2001年

中華民国の政治家、軍人。

1936年に蒋介石を拉致監禁(西安事件(せいあんじけん))して、めっちゃ怒られる。


日中戦争(にっちゅうせんそう)
日中戦争(にっちゅうせんそう)

1937年 - 1945年

中華民国と大日本帝国の間で行われた戦争。勃発当時は支那事変としていた。日本が負けた。

石川達三(いしかわたつぞう)
石川達三(いしかわたつぞう)

1905年 - 1985年

日本の小説家。1935年に発表した『蒼氓』により、芥川賞受賞者第1号となる。1938年に発表した『生きてゐる兵隊』が新聞紙法に問われ発禁処分となる。


国体の本義(こくたいのほんぎ)
国体の本義(こくたいのほんぎ)

1937年3月30日

「日本とはどのような国か」を明らかにしようとするために、当時の文部省が学者たちを結集して編纂した書物。神勅や万世一系が冒頭で強調されており、国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。

第1次近衛文麿内閣(だいいちじこのえふみまろないかく)
第1次近衛文麿内閣(だいいちじこのえふみまろないかく)

1937年6月4日 - 1939年1月5日

近衛文麿が第34代内閣総理大臣に任命された内閣。中小小売商の保護、百貨店間の競争抑制などを目的に1937年に百貨店法を制定。


日独伊三国防共協定(にちどくいさんごくぼうきょうきょうてい)
日独伊三国防共協定(にちどくいさんごくぼうきょうきょうてい)

1937年

1937年11月、コミンテルンおよびソ連に対抗するため、日本、ドイツ、イタリアの間に結ばれた協定。コミンテルンの活動に反対すること、相互に情報交換と緻密な協力を行うことなどが定められていたが、秘密文書では明確にソ連をその対象としていた。

大内兵衛(おおうちひょうえ)
大内兵衛(おおうちひょうえ)

1888年 - 1980年

元東京大学教授。法政大学総長。大正・昭和期の日本のマルクス経済学者。日本学士院会員。

1938年に人民戦線の結成を企図したとして治安維持法により検挙(人民戦線事件)された。


河合栄治郎(かわいえいじろう)
河合栄治郎(かわいえいじろう)

1891年 - 1944年

日本の社会思想家、経済学者、自由主義知識人。ファシズムを批判し、1939年に東京帝国大学を休職処分になった(河合栄治郎事件)。

平沼騏一郎内閣(ひらぬまきいちろうないかく)
平沼騏一郎内閣(ひらぬまきいちろうないかく)

1939年1月5日 - 1939年8月30日

平沼騏一郎が第35代内閣総理大臣に任命された内閣。1939年、国家総動員法に基づいて国民徴用令を出した。これは、戦時の労働力不足を補うために国民を徴用し、重要産業に強制従事させるものである。


阿部信行内閣(あべのぶゆきないかく)
阿部信行内閣(あべのぶゆきないかく)

1939年8月30日 - 1940年1月16日

阿部信行が第36代内閣総理大臣に任命された内閣。日中戦争の長期化により生活物資が不足する中、1939年に価格等統制令を出し、物価などの価格を統制したが、この法令により国民の窮乏化はさらに促進された。

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)
第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)

1939年 - 1945年

ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。人類史上最大の大戦争。連合国側が勝利した。


東条英機内閣(とうじょうひできないかく)
東条英機内閣(とうじょうひできないかく)

1941年10月18日 - 1944年7月22日

東条英機が第40代内閣総理大臣に任命された内閣。1942年、この内閣の下に第21回衆議院議員総選挙が行われたが、第二次世界大戦下で行われた唯一の国政選挙であり、一般に翼賛選挙(よくさんせんきょ)と呼ばれる。

尾崎行雄(おざきゆきお)
尾崎行雄(おざきゆきお)

1858年 - 1954年

翼賛選挙で非推薦候補者の一人として当選した。


芦田均(あしだひとし)
芦田均(あしだひとし)

1887年 - 1959年

翼賛選挙で非推薦候補者の一人として当選した。後の第47代内閣総理大臣。

鳩山一郎(はとやまいちろう)
鳩山一郎(はとやまいちろう)

1883年 - 1959年

翼賛選挙で非推薦候補者の一人として当選した。後の第52・53・54代内閣総理大臣。


日本文学報国会(にほんぶんがくほうこくかい)
日本文学報国会(にほんぶんがくほうこくかい)

1942年5月26日設立。

文学団体。

サイパン陥落(さいぱんかんらく)
サイパン陥落(さいぱんかんらく)

1944年

日本軍の南方の防衛線であったサイパン島にアメリカ軍が上陸し、サイパンが陥落した。これにより、アメリカ軍はここを拠点として日本本土への空爆を開始することとなる。


広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)
広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)

1945年

1945年8月6日にアメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用した。これは人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃により当時の広島市のの人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされる。

参考
広島平和記念資料館

長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)
長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)

1945年

1945年8月9日にアメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して投下した、人類史上実戦で使用された最後の核兵器。原子爆弾「ファットマン」の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は36%が全焼または全半壊した。

参考
日本語ポータル | 長崎市 平和・原爆


重光葵(しげみつまもる)
重光葵(しげみつまもる)

1887年 - 1957年

第二次世界大戦期の日本の外交官・政治家。

1945年に降伏文書に調印した。

東久邇宮稔彦王内閣(ひがしくにのみやなるひこおうないかく)
東久邇宮稔彦王内閣(ひがしくにのみやなるひこおうないかく)

1945年8月17日 - 1945年10月9日

東久邇宮稔彦王が第43代内閣総理大臣に任命された内閣。皇族が首相となった史上唯一の内閣。

国体護持(天皇を中心とした秩序(政体))を唱えて終戦処理にあたったが「人権指令」(「自由の指令」とも。人権確保のため、治安維持法、宗教団体法などの廃止や政治犯・思想犯の釈放、特別高等警察(特高警察)の解体)が出ると、国内での共産活動が再活発化し革命がおこることを危惧し、指令の実施不可能として総辞職した。


GHQ(じーえいちきゅー)
GHQ(じーえいちきゅー)

1945年10月2日 - 1952年4月28日

正式名称「連合国軍最高司令官司令部」。第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を施行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関。

経済復興のために、当時の基幹産業である鉄鋼・石炭に死罪・資金を重点的に投入し、それを契機に産業全体の拡大を図るという傾斜生産方式と呼ばれる経済政策を実施した。

民主化政策の一環として1945年から2次にわたって農地改革が実施され、寄生地主制の解体と小作料の金納化などを実現した。

日本の終戦直後(にほんのしゅうせんちょくご)
日本の終戦直後(にほんのしゅうせんちょくご)

深刻な食糧難を背景に、混雑する列車で人々が農村へ買い出しに向かった。


高野岩三郎(たかのいわさぶろう)
高野岩三郎(たかのいわさぶろう)

1871年 - 1949年

憲法研究会を設立し「憲法草案要綱」発表。この憲法草案要綱は、のちに連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) で憲法草案をつくる際に参考とされた。その結果できた日本国憲法では国会が国権の最高機関であると定められている。

プロ野球再開(ぷろやきゅうさいかい)
プロ野球再開(ぷろやきゅうさいかい)

1945年プロ野球が再開された。


幣原喜重郎内閣(しではらきじゅうろうないかく)
幣原喜重郎内閣(しではらきじゅうろうないかく)

1945年10月9日 - 1946年5月22日

幣原喜重郎が第44代内閣総理大臣に任命された内閣。1945年労働組合法を制定。1946年に新円への切り替えを図って旧円の流通を禁止し、新円による預貯金の引き出しを制限することによって戦後インフレの収束を図ろうとした(預金封鎖)。

労働組合法
労働組合法

1945年

労働者の団結権を認める法。


第1次吉田茂内閣(だいいちじよしだしげるないかく)
第1次吉田茂内閣(だいいちじよしだしげるないかく)

1946年5月22日 - 1947年5月24日

吉田茂が第45代内閣総理大臣に任命された内閣。大蔵大臣石橋湛山を採用。1947年労働基準法を制定。

石橋湛山(いしばしたんざん)
石橋湛山(いしばしたんざん)

1884年 - 1973年

第一次吉田茂内閣で大蔵大臣に就任。


大塚久雄(おおつかひさお)
大塚久雄(おおつかひさお)

1907年 - 1996年

経済学者。

西洋諸国における近代資本主義、近代市民社会の研究で知られ、マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学は国際的評価を受けた。1947年から東京帝大経済学部教授。

片山哲内閣(かたやまてつないかく)
片山哲内閣(かたやまてつないかく)

1947年5月24日 - 1948年3月10日

片山哲が日本社会党連立政権の首相として第46代内閣総理大臣に就任した内閣。


文化財保護法(ぶんかざいほごほう)
文化財保護法(ぶんかざいほごほう)

1949年の法隆寺金堂の火災により法隆寺金堂壁画が焼損した。これをきっかけに、文化財の保護についての総合的な法律として、議員立法により本法が制定された。1925年に施行された。

自由党(じゆうとう)
自由党(じゆうとう)

1950年自由党が発足した。


第3次吉田茂内閣(第2次改造)(だいさんじよしだしげるないかく(だいにじかいぞう))
第3次吉田茂内閣(第2次改造)(だいさんじよしだしげるないかく(だいにじかいぞう))

1951年7月4日 - 1951年12月26日

吉田茂が第49代内閣総理大臣に任命された内閣。アメリカ・ソ連を含め交戦国すべてと講和する全面講和論を退けて、戦後の東西両陣営が対立する中、アメリカ・イギリスを中心とする西側諸国とまず講和するという単独講和論を採用し、1951年にサンフランシスコ平和条約に調印、1952年に発行した。これにより連合国による占領は終わり、日本は主権を回復した。

第3次吉田茂内閣(第3次改造)(だいさんじよしだしげるないかく(だいさんじかいぞう))
第3次吉田茂内閣(第3次改造)(だいさんじよしだしげるないかく(だいさんじかいぞう))

1951年12月26日 - 1952年10月30日

吉田茂が第49代内閣総理大臣に任命された内閣。血のメーデー事件をきっかけに破壊活動防止法を制定。


改進党(かいしんとう)
改進党(かいしんとう)

1952年改進党が発足した。

血のメーデー事件(ちのめーでーじけん)
血のメーデー事件(ちのめーでーじけん)

1952年

東京の皇居外苑で発生した、デモ隊と警察部隊とが衝突した騒乱事件である。事件は一部の左翼団体が暴力革命準備の実践の一環として行われたもの。


日華平和条約(にっかへいわじょうやく)
日華平和条約(にっかへいわじょうやく)

1952年

日本と中華民国(台湾国民政府)との間で両国間における第二次世界大戦の戦争状態を終了させるために締結された条約。

内灘事件(うちなだじけん)
内灘事件(うちなだじけん)

1952年 - 1953年

1952年に石川県の内灘村の砂丘地を米軍の試射場として接収することが決定され、激しい反対運動が起こったが53年に接収が強行された。


第1回原水爆禁止世界大会(だいいっかいげんすいばくきんしせかいたいかい)
第1回原水爆禁止世界大会(だいいっかいげんすいばくきんしせかいたいかい)

1955年

1955年8月6日、原爆が投下されてから10年後の広島で、第1回原水爆禁止世界大会が開催された。

第3次鳩山一郎内閣(だいさんじはとやまいちろうないかく)
第3次鳩山一郎内閣(だいさんじはとやまいちろうないかく)

1955年11月22日 - 1956年12月23日

鳩山一郎が第54代内閣総理大臣に任命された内閣。自由民主党の初代総裁となった。日ソ共同宣言を行い日本とソビエト連邦の国交回復を実現した。1956年に中小企業の経営を保護するために第2次百貨店法を制定。


もはや戦後ではない(もはやせんごではない)
もはや戦後ではない(もはやせんごではない)

1956年(昭和31年)7月に発表された経済白書に、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して《もはや「戦後」ではない》と記述され流行語になった。

日本の高度経済成長(にほんのこうどけいざいせいちょう)
日本の高度経済成長(にほんのこうどけいざいせいちょう)

1950年代 - 1973年

1950年代に入ってくると、日本は高度経済成長期に入った。大都市の近郊にはニュータウンと呼ばれる大規模な住宅団地が作られた。


三種の神器(さんしゅのじんぎ)
三種の神器(さんしゅのじんぎ)

1950年代後半に白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が戦後清時代の生活必需品「三種の神器」として喧伝された。

石橋湛山内閣(いしばしたんざんないかく)
石橋湛山内閣(いしばしたんざんないかく)

1956年12月23日 - 1957年2月25日

石橋湛山が第55代内閣総理大臣に任命された内閣。内閣発足から1か月後に石橋が脳梗塞で倒れ職務不能となったため、1月に外務大臣の岸信介が内閣総理大臣臨時代理に就任した。結局石橋は続投を断念し、2月に総辞職した。


第2岸信介改造内閣(だいにじきしのぶすけかいぞうないかく)
第2岸信介改造内閣(だいにじきしのぶすけかいぞうないかく)

1959年6月18日 - 1960年7月19日

岸信介が第57代内閣総理大臣に任命された内閣。1960年に激しい反対運動を抑え込んで日米安全保障条約改定を行った。

第1次池田勇人内閣(だいいちじいけだはやとないかく)
第1次池田勇人内閣(だいいちじいけだはやとないかく)

1960年7月19日 - 1960年12月8日

池田勇人が第58代内閣総理大臣に任命された内閣。1961年からの10年間に名目国民所得(国民総生産)を26兆円に倍増させることを目標にした国民所得倍増計画という経済計画を策定し、その後日本は計画以上の成長に至った。


第2次池田勇人内閣(だいにじいけだはやとないかく)
第2次池田勇人内閣(だいにじいけだはやとないかく)

1960年12月8日 - 1961年7月18日

池田勇人が第59代内閣総理大臣に任命された内閣。農工間の所得格差の是正や農業の近代化を目指して1961年農業基本法を制定した。

第3次池田勇人内閣(だいさんじいけだはやとないかく)
第3次池田勇人内閣(だいさんじいけだはやとないかく)

1963年12月9日 - 1964年7月18日

池田勇人が第60代内閣総理大臣に任命された内閣。1964年に経済協力開発機構(OECD)に加盟し、資本の自由化が進められた。


新・三種の神器(しんさんしゅのじんぎ)
新・三種の神器(しんさんしゅのじんぎ)

1960年代半ばに「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー(自家用車))が新・三種の神器と呼ばれるようになった。

手塚治虫(てづかおさむ)
手塚治虫(てづかおさむ)

1928年 - 1989年

漫画家、アニメーター、アニメーション監督。手塚治虫が原作を描いた「鉄腕アトム」が1963年~1966年、日本で最初の本格的連続テレビアニメとして放映された。


名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)
名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)

戦後の高度成長期におけるモータリゼーションの進展を背景に1965年に名神高速道路が全通した。

四大公害訴訟(よんだいこうがいそしょう)
四大公害訴訟(よんだいこうがいそしょう)

イタイイタイ病事件、水俣病事件、新潟水俣病事件、四日市公害事件(四日市喘息)の四大公害に関連して、患者とその家族・遺族が郊外の原因とみなされる企業を相手に起こした訴訟。すべて原告側が勝訴した。


公害対策基本法(こうがいたいさくきほんほう)
公害対策基本法(こうがいたいさくきほんほう)

1967年

日本の4台公害病である水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病の発生を受け制定された公害対策に関する日本の基本法。1967年8月3日公布、同日施行。

東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)
東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)

戦後の高度成長期におけるモータリゼーションの進展を背景に1969年に東名高速道路が全通した。


第3次佐藤栄作内閣(だいさんじさとうえいさくないかく)
第3次佐藤栄作内閣(だいさんじさとうえいさくないかく)

1970年1月14日 - 1971年7月5日

佐藤栄作が第63代内閣総理大臣に任命された内閣。1971年に日米間で沖縄返還協定を結ぶ。1972年沖縄の日本復帰が実現。

日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい)
日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい)

1970年

大阪で日本万国博覧会が開催された。


田中角栄内閣(たなかかくえい)
田中角栄内閣(たなかかくえい)

1918年 - 1993年

政治家。建築士。

自由民主党総裁選挙を翌月に控えた1972年(昭和47年)6月11日に日本列島改造論という政策綱領を発表した。田中はこの「工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる “地方分散” を推進すること」を主旨とした事実上の政権公約を掲げて同年7月の総裁選で勝利し、内閣総理大臣となった。

第1次田中角栄内閣(だいいちじたなかかくえいないかく)
第1次田中角栄内閣(だいいちじたなかかくえいないかく)

1972年7月7日 - 1972年12月22日

田中角栄が第64代内閣総理大臣に任命された内閣。


環境庁(かんきょうちょう)
環境庁(かんきょうちょう)

1971年

環境汚染などの公害問題について行政的にばらばらであった対策を統一的に処理するために1971年7月環境庁が設置された。

減量経営(げんりょうけいえい)
減量経営(げんりょうけいえい)

日本は戦後の廃墟から朝鮮戦争の特需をきっかけに高度経済成長期に突入したが、第一次オイルショックにより1974年実質経済成長率が初めてマイナスとなった。日本企業は内部のスラック (余裕) 資源を減らすことによって経営の立て直しをはかる減量経営を行った。


日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)
日中平和友好条約(にっちゅうへいわゆうこうじょうやく)

1978年

日本国と中華人民共和国との間で締結された両国の外交関係の発展のための条約。

黒澤明(くろさわあきら)
黒澤明(くろさわあきら)

1910年 - 1998年

映画監督。脚本家。『羅生門』『生きる』『七人の侍』など30本の監督作品を生み出し、アカデミー賞と世界三大映画祭で賞を得た。世界的にその名が知られ、日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。


第2次中曽根康弘内閣(第1次改造)(だいにじなかそねやすひろないかく(だいいちじかいぞう))
第2次中曽根康弘内閣(第1次改造)(だいにじなかそねやすひろないかく(だいいちじかいぞう))

1984年11月1日 - 1985年12月28日

中曽根康弘が第72代内閣総理大臣に任命された内閣。1985年に日本電信電話公社(日本電電)を民営化してNTTに改めた。

バブル景気(ばぶるけいき)
バブル景気(ばぶるけいき)

1986年12月 - 1991年2月

日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象のこと。1991年のバブル経済崩壊後、日本の国内産業は空洞化が進んだ。


日本労働組合総連合会(にっぽんろうどうくみあいそうれんごうかい)
日本労働組合総連合会(にっぽんろうどうくみあいそうれんごうかい)

1989年

日本の労働組合におけるナショナルセンター。国際労働組合総連合に加盟している。1989年11月21日結成。

中内功(なかうちいさお)
中内功(なかうちいさお)

1922年 - 2005年

実業家。ダイエー創業者。戦後の日本におけるスーパーマーケット (GMS) の黎明期から立ち上げに関わり、近年の消費者主体型の流通システムの構築を確立させダイエーを中心とした商業施設の普及拡大、日本の流通革命の旗手として大きく貢献した。