History Blue

鎌倉時代(1185年頃 - 1333年)

源頼朝(みなもとのよりとも)
源頼朝(みなもとのよりとも)

1147年5月9日 - 1199年2月9日

1192年に鎌倉幕府の初代征夷大将軍に任じられた。

鎌倉時代(かまくらじだい)
鎌倉時代(かまくらじだい)

1185年頃 - 1333年

幕府が鎌倉に置かれていた時代のこと。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。

平氏から奪った荘園を含む関東御領(かんとうごりょう)が鎌倉幕府の財源の基盤となった。

京と鎌倉での往来が盛んになった。


守護(しゅご)
守護(しゅご)

源頼朝が国ごとに置き、警察・軍事の役割や地頭の監督をはたさせた役職を守護という。守護の権限のうちもっとも重要な三つを大犯三箇条(たいぼんさんかじょう)といい「大番催促」「謀反人の検断」「殺害人の検断」のことを言う。

地頭(じとう)
地頭(じとう)

源頼朝が荘園や公領ごとに置き、年貢の徴収と治安維持の職務をおわせた役職を地頭という。


御家人(ごけにん)
御家人(ごけにん)

将軍の家来となった武士のこと。天皇や院の御所や京都市中を警護する番役の御家人のことを京都大番役と言う。

執権(しっけん)
執権(しっけん)

鎌倉時代、将軍の補佐として政治を行った役職のこと。


北条氏(ほうじょうし)
北条氏(ほうじょうし)

執権の役職を独占した一族。

北条政子(ほうじょうまさこ)
北条政子(ほうじょうまさこ)

1157年 - 1225年

こんにちは。政子です。源頼朝の妻で、頼朝の死後、実権を握り尼将軍と呼ばれました。


執権政治(しっけんせいじ)
執権政治(しっけんせいじ)

源頼朝の死後、北条氏が執権の役職を独占して将軍に代わって行った政治。

御恩(ごおん)
御恩(ごおん)

将軍から活躍した御家人へ新しい領地を与えたり、その領地を保護したりすること。


奉公(ほうこう)
奉公(ほうこう)

御家人が将軍に忠誠を誓い、戦があれば「いざ鎌倉」と将軍のために戦うこと。

封建制度(ほうけんせいど)
封建制度(ほうけんせいど)

将軍と御家人が御恩と奉公の関係で結ばれている制度。


鴨長明(かものちょうめい)
鴨長明(かものちょうめい)

1155年 - 1216年

歌人。随筆家。

方丈記」を書いたことで有名。

方丈記(ほうじょうき)
方丈記(ほうじょうき)

鴨長明が書いた随筆。

日本三大随筆の一つ。


後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)

1180年 - 1239年

第82代天皇(在位1183年 - 1198年)。

源氏の直系が三代で途絶えたのを好機と見て、鎌倉幕府を倒して政権を取り戻すために、1221年に西国の武士たちに呼びかけて承久の乱を起こしたよ。敗れて隠岐へ流されたけど。

承久の乱(じょうきゅうのらん)
承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年

レベルが低い奴はこの戦いについてこれないぜ!上級者の戦い!承久の乱!でおなじみの承久の乱。後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げたが、朝廷側が敗北した。まさか朝廷側が負けるとは……。さすが上級者の戦い。後鳥羽天皇は隠岐に流され、1239年に同地で崩御した。


隠岐(おき)
隠岐(おき)

現在の島根県隠岐島。後鳥羽上皇が流された場所。

六波羅探題(ろくはらたんだい)
六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱以後、朝廷や西国の武士を監視するために京都に設置された出先機関。黄色いトゲトゲが六個ある。


北条泰時(ほうじょうやすとき)
北条泰時(ほうじょうやすとき)

1183年 - 1242年

鎌倉幕府第三代執権。

御成敗式目を定めた。

御成敗式目(ごせいばいしきもく)
御成敗式目(ごせいばいしきもく)

1232年

北条泰時が制定した、武士のための初めての法律。


下地中分(したじちゅうぶん)
下地中分(したじちゅうぶん)

荘園領主と地頭の間でかわされた、相互の土地支配権を取り決めた荘園支配の方法。

問丸(といまる)
問丸(といまる)

問(とい)とも呼ばれる。年貢米の陸揚地である河川・港の近くの都市に居住し、運送、倉庫、委託販売業を兼ねる組織。


北条時頼(ほうじょうときより)
北条時頼(ほうじょうときより)

1227年 - 1263年

鎌倉幕府第5代執権(在職:1246年 - 1256年)。

1252年に第5代将軍藤原頼嗣を京都に追放して、新たな将軍として後嵯峨天皇の皇子である宗尊親王を擁立した。

宗尊親王(むねたかしんのう)
宗尊親王(むねたかしんのう)

1242年 - 1274年

鎌倉幕府第六代将軍(1252年 - 1266年)。皇族で初めての征夷大将軍。

後嵯峨天皇の長男だが、母方の身分が低かった為に天皇にはなれなかった。鎌倉幕府では北条時頼が、力のある九条家を政界から排除したいと考えており、その手段として宗尊親王を将軍とすることにし、幕府に請われて、皇族最初の征夷大将軍となった。実権は北条氏が握っていたため、形式だけの将軍であったが、和歌に長じ、武家を中心とする歌壇が隆盛を極めた。後、謀反の嫌疑がかけられ将軍の解任後、京に戻る。後嵯峨天皇の崩御に伴い出家した。


両統迭立(りょうとうてつりつ)
両統迭立(りょうとうてつりつ)

後嵯峨天皇の後,持明院統(後深草天皇の血統)と大覚寺統(亀山天皇の血統)とが対立し、鎌倉幕の提案でが両統が交互に即位するようになったこと。

チンギス・ハン
チンギス・ハン

1162年 - 1227年

モンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国を築き上げた。


モンゴル帝国(もんごるていこく)
モンゴル帝国(もんごるていこく)

1206年 - 1634年

チンギス・ハンが作った大帝国。

フビライ・ハン
フビライ・ハン

1215年 - 1294年

モンゴル帝国の第5代皇帝(大ハーン)。大元王朝の初代皇帝。

こんにちは。フビライだよ。元寇で日本を攻めたよ。


元(げん)
元(げん)

1271年 - 1368年

モンゴル帝国が分裂して、フビライ・ハンが支配した中国の国。

高麗(こうらい)
高麗(こうらい)

918年 - 1392年

この当時朝鮮半島にあった国。


三別抄(さんべつしょう)
三別抄(さんべつしょう)

高麗王朝の軍事組織。高麗のモンゴル軍の襲撃に際して、1270年江華島を本拠に自立、各地へ移動しつつ抵抗したが、済州島に追い詰められ1273年に完全に滅ぼされた。

元寇(げんこう)
元寇(げんこう)

1274年と1281年の2回に渡り元のフビライの軍が日本に攻めてきた事変。1274年のものを「文永の役」、1281年のものを「弘安の役」ともいう。日本はこれを撃退した。


北条時宗(ほうじょうときむね)
北条時宗(ほうじょうときむね)

1251年 - 1284年

鎌倉幕府第8代執権。

元寇の時の執権。

十六夜日記(いざよいにっき)
十六夜日記(いざよいにっき)

阿仏尼によって記された紀行文日記。中世三大紀行文の一つ。

京都では解決できない所領紛争を鎌倉幕府に訴えるために京都から鎌倉へ下った際の道中、および鎌倉滞在の間の出来事をつづる。


平頼綱(たいらのよりつな)
平頼綱(たいらのよりつな)

1241年 - 1293年

武士。御内人(みうちびと:鎌倉時代に執権北条氏の家督・得宗に仕えた、武士、被官、従者。)。鎌倉幕府8代執権北条時宗・9代執権北条貞時の執事。

御内人の筆頭格として時宗の専制体制を補佐した。時宗死後に対立した有力御家人の安達泰盛を霜月騒動で滅ぼし、内管領として時宗の嫡子貞時を擁し幕府内外で絶大な権勢を振るうが、頼綱の恐怖政治に不安を抱いた貞時の命によって誅殺された(平禅門の乱)。

北条貞時(ほうじょうさだとき)
北条貞時(ほうじょうさだとき)

1272年 - 1311年

鎌倉幕府第9代執権。

鎌倉大地震の混乱に乗じて平禅門の乱で平頼綱を滅ぼした。


平禅門の乱(へいぜんもんのらん)
平禅門の乱(へいぜんもんのらん)

1293年

鎌倉で起こった政変。内管領(ないかんれい:執権北条氏の宗家である得宗家の執事で、得宗被官である御内人の筆頭)として絶大な権勢を振るった平頼綱が、主君である9代執権北条貞時によって滅ぼされた。

徳政令(とくせいれい)
徳政令(とくせいれい)

1297年

貧窮に苦しむ御家人の保護のために、借金の帳消しを命じたもの。


武家造(ぶけづくり)
武家造(ぶけづくり)

鎌倉時代の御家人達が住んでいた、周囲に掘や土塁をめぐらせた板葺きの簡素な住居のつくりの事。

法然(ほうねん)
法然(ほうねん)

1133年 - 1212年

僧。

はじめは比叡山で天台宗の驚愕を学んでいたが、阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説くようになり、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。


浄土宗(じょうどしゅう)
浄土宗(じょうどしゅう)

清らかな土!浄土宗!法然を宗祖とする鎌倉仏教の一つ。

参考
浄土宗【公式サイト】| 法然上人の「心」を世界へ

親鸞(しんらん)
親鸞(しんらん)

1173年 - 1263年

僧。浄土真宗の宗祖。

法然を師と仰いでから生涯に渡り「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めていくことに力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられるが、宗派として教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される。


浄土真宗(じょうどしんしゅう)
浄土真宗(じょうどしんしゅう)

親鸞が師である法然の教えを継承し、展開した教え。親鸞の死後、門弟が教団として発展させる。鎌倉仏教の一つ。

参考
本願寺派(西本願寺)-親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派の活動紹介
浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺

一遍(いっぺん)
一遍(いっぺん)

1239年 - 1289年

僧。踊り念仏の時宗の開祖。


時宗(じしゅう)
時宗(じしゅう)

鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。一遍の開祖。鎌倉仏教の一つ。

参考
時宗総本山 遊行寺

日蓮(にちれん)
日蓮(にちれん)

1222年 - 1282年

僧。

日蓮宗(法華宗)の宗祖。


日蓮宗(にちれんしゅう)
日蓮宗(にちれんしゅう)

法華宗ともいう。日蓮によって興された鎌倉仏教の一つ。

参考
日蓮宗ポータルサイト

栄西(えいさい)
栄西(えいさい)

1141年 - 1215年

僧。

日本における臨済宗の開祖。


臨済宗(りんざいしゅう)
臨済宗(りんざいしゅう)

元々は中国の宗教。日本においては栄西が開祖。禅宗。鎌倉仏教の一つ。

日本の禅 臨済宗・黄檗宗の公式サイト 臨黄ネット

道元(どうげん)
道元(どうげん)

1200年 - 1253年

僧。

日本における曹洞宗の開祖。


曹洞宗(そうとうしゅう)
曹洞宗(そうとうしゅう)

元々は中国の宗教。日本においては道元が開祖。禅宗。鎌倉仏教の一つ。

曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ

琵琶法師(びわほうし)
琵琶法師(びわほうし)

琵琶をまちなかで弾く盲目の僧のこと。平安時代中期から存在する。


平家物語(へいけものがたり)
平家物語(へいけものがたり)

琵琶法師が平氏の栄枯盛衰を語り継いだ軍記物語。

藤原定家(ふじわらのさだいえ)
藤原定家(ふじわらのさだいえ)

1162年 - 1241年

公家・歌人。

「ふじわらのていか」とも言われる。後鳥羽上皇の命令により、新古今和歌集を作成した。


新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)
新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)

後鳥羽上皇の命令により藤原定家が中心になって集めた和歌集。

運慶(うんけい)
運慶(うんけい)

? - 1224年

仏師。

金剛力士像を快慶と共に作ったので有名。


快慶(かいけい)
快慶(かいけい)

生没年不詳

仏師。

金剛力士像を運慶と共に作ったので有名。

金剛力士像(こんごうりきしぞう)
金剛力士像(こんごうりきしぞう)

運慶快慶が東大寺の南大門に作成した像。

参考
南大門|参拝のご案内|華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ


東大寺(とうだいじ)
東大寺(とうだいじ)

運慶快慶が「東大寺」の南大門に作成した金剛力士像が有名。奈良の大仏でも有名。東大寺を覚えてる?奈良時代に聖武天皇が国分寺の中心をなす「総国分寺」として建立した寺だよ。

華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ

北条高時(ほうじょうたかとき)
北条高時(ほうじょうたかとき)

1304年1月9日 - 1333年7月4日

鎌倉幕府第14代執権(在職:1316年 - 1326年)

1325年、建長寺の再建費用を得るために元に『建長寺船』という貿易船を元に派遣した。


吉田兼行(よしだけんこう)
吉田兼行(よしだけんこう)

1283年頃? - 1352年以後?

官人。遁世者。歌人。随筆家。「兼好法師(けんこうほうし)」と呼ばれることもある。

こんにちは。吉田くんこと吉田兼行です。日本三大随筆の一つ「徒然草」で有名。

徒然草(つれづれぐさ)
徒然草(つれづれぐさ)

吉田兼行が書いた随筆。日本三大随筆の一つ。


二毛作(にもうさく)
二毛作(にもうさく)

鎌倉時代に始まった、米の裏作に麦を作るような、一年にひとつの耕地で二種類の作物を作る耕作方法。

商品作物(しょうひんさくもつ)
商品作物(しょうひんさくもつ)

桑(くわ)や漆(うるし)、茶などのように原料にしたり加工して売り物にする作物のこと。


悪党(あくとう)
悪党(あくとう)

鎌倉時代後期の、幕府に従わない武士。

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

1288年 - 1339年

第96代天皇、および南朝の初代天皇(在位1318年 - 1339年)

悪党や鎌倉幕府に不満を持つ御家人を味方につけて幕府を倒した。


足利尊氏(あしかがたかうじ)
足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305年 - 1358年

有力御家人でありながら幕府を倒す中心的な役割をした。