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平安時代(794年 - 1185年/1192年)

蝦夷(えみし)
蝦夷(えみし)

日本連投の東方や北方などに住む人々の呼称。

伊治呰麻呂の乱(これはりのあざまろのらん)
伊治呰麻呂の乱(これはりのあざまろのらん)

伊治呰麻呂は奈良時代末期の蝦夷出身の武将。780年に胆沢地方(今の岩手県胆沢郡)平定のために伊治城におもむいた呰麻呂は、降伏した蝦夷で構成された軍をひきいて、突然反乱を起こした。以後、呰麻呂がどうなったかあきらかではない。


桓武天皇(かんむてんのう)
桓武天皇(かんむてんのう)

737年 - 806年4月9日(在位:781年4月30日 - 806年4月9日)

第50代天皇。784年に平城京から長岡京に都を移したんだけど、長岡京への遷移を主導していた藤原種継が暗殺された。暗殺に関わった一人として早良親王を処罰したんだけど、親王の死後、飢饉、疫病、親戚の相次ぐ死、伊勢神宮正殿の放火など様々な変事が起こったので、陰陽師に占わせたら「早良親王のタタリだね!」って言われて、ヤバげだったから、和気清麻呂にも勧められて794年平安京へ都を移した。

長岡京(ながおかきょう)
長岡京(ながおかきょう)

桓武天皇が784年に平城京から移した都。


藤原種継(ふじわらのたねつぐ)
藤原種継(ふじわらのたねつぐ)

737年 - 785年10月31日

長岡京の造営を主導したけど、暗殺されました。

早良親王(さわらしんのう)
早良親王(さわらしんのう)

750年? - 785年11月8日

皇族。藤原種継暗殺事件への関与を疑われて幽閉されたので「俺じゃねぇし!暗殺とかしねぇし!」って無実を訴えたけど、全然信じてくれなかったからマジ切れして食事を拒否して死にました。その後、長岡京をタタって祟ってたたりまくってやりました。


和気清麻呂(わけのきよまろ)
和気清麻呂(わけのきよまろ)

733年 - 799年4月4日

貴族です。794年に平安京へ都を移すことを提案しました。

平安京(へいあんきょう)
平安京(へいあんきょう)

794年に現在の京都市に移された都の名前。


平安時代(へいあんじだい)
平安時代(へいあんじだい)

794年 - 1185年/1192年頃

794年に桓武天皇が平安京に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指す。京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまでは政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。ちなみに年号の覚え方は「鳴くよ(794)ウグイス平安京」です。

束帯(そくたい)
束帯(そくたい)

平安時代以降の天皇以下公家の男性の正装。


衣冠(いかん)
衣冠(いかん)

平安時代以降の貴族や官人の宮中での男性の勤務服。

十二単(じゅうにひとえ)
十二単(じゅうにひとえ)

平安時代の女性用の装束。


馬借(ばしゃく)
馬借(ばしゃく)

馬を利用し、荷物を運搬する輸送業者。主に平安時代から戦国時代にかけて活躍した。

車借(しゃしゃく)
車借(しゃしゃく)

荷車を利用し、荷物を運搬する輸送業者。馬借と同時代に活躍した。


坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

758年 - 811年6月17日

こんにちは。坂の上の田村くんこと坂上田村麻呂です。征夷大将軍として蝦夷の反乱を抑えることなどに活躍しました。

摂政(せっしょう)
摂政(せっしょう)

天皇が幼い時や女性の時に天皇に代わって全ての政務を行った役職。


関白(かんぱく)
関白(かんぱく)

天皇が成人した後も天皇を補佐する役職。

摂関政治(せっかんせいじ)
摂関政治(せっかんせいじ)

藤原氏が娘を天皇のきさきにして外戚関係(がいせきかんけい。母方の親戚のことを外戚という)になり、摂政や関白などの要職を独占して実権を握り、天皇にかわっておこなった政治のこと。


藤原氏(ふじわらし)
藤原氏(ふじわらし)

「氏(し)」っていうのは「一族」みたいな意味で、要するに藤原一族のこと(正確には「藤原」を氏の名とする氏族)。「藤原一族とか知らねぇよ」って思ってるかも知れないけど飛鳥時代に大化の改新で活躍した藤原鎌足(中臣鎌足)を覚えてる?藤原氏はその子孫たちだよ。

荘園(しょうえん)
荘園(しょうえん)

奈良時代に出された墾田永年私財法によって、貴族、豪族、寺社などが私有地を増やしていきました。こうして増えた私有地は、税を逃れるために有力貴族に寄進され、名目上の所有者になってもらいました。この私有地を荘園といいます。


名(みょう)
名(みょう)

平安時代から中世の国衙領や荘園において徴税のために設けられた単位。

負名(ふみょう)
負名(ふみょう)

税の徴収を請け負った人のこと。課税単位へ編成された土地を名田(みょうでん)とい、名田経営を請け負った人が「負名」と呼ばれるようになりました。


最澄(さいちょう)
最澄(さいちょう)

766/767年 - 822年

サイのチョウチョこと最澄だよ。中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山に延暦寺を建てて、天台宗の開祖となったよ。

天台宗(てんだいしゅう)
天台宗(てんだいしゅう)

最澄が広めた宗教。覚え方は「サイのチョウチョの最澄が作った、台にチョウチョの羽が生えて天を目指す天台宗」です

参考
天台宗
天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]


空海(くうかい)
空海(くうかい)

774年 - 835年4月22日

空を意味する雲の顔と、海を意味するタコの身体を持った男、空海。中国に渡って密教を学び、帰国後、高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建てて、真言宗の開祖となったよ。

真言宗(しんごんしゅう)
真言宗(しんごんしゅう)

空海が広めた宗教。絵は、真の言葉を話しているイメージ。

参考
高野山真言宗 総本山金剛峯寺


小野岑守(おののみねもり)
小野岑守(おののみねもり)

778年 - 830年5月14日

貴族・文人。

財源獲得と窮民救済を目的として823年公営田(くえいでん)の導入を提案し、受け入れられた。

国司(こくし)
国司(こくし)

国司は赴任した場所で祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司どり、管内では絶大な権限を持ちました。地方に派遣された中央貴族が国司になりました。貴族は地方を国司に任せきりになり、地方の政治が混乱しました。


郡司(ぐんじ)
郡司(ぐんじ)

国司の下で郡を治める地方官を郡司といいます。地方豪族が郡司になりました。

武士(ぶし)
武士(ぶし)

地方が乱れてくると自分の領地を守るため、戦いを職業とする武士が出てきた。


駅家(えきか/うまや)
駅家(えきか/うまや)

古代日本では中央と地方を結ぶ道路が整備され、その道路沿いに、一定間隔ごとに駅家という施設が置かれた。

橘逸勢(たちばなのはやなり)
橘逸勢(たちばなのはやなり)

? - 842年9月24日

書家、貴族。

804年に最澄・空海らと共に遣唐使として唐に渡り、琴と書を学び、帰国後はそれらの第一人者となった。842年に謀反の疑いをかけられ、伊豆へ流罪となった(承和の変)。逸勢は伊豆へ護送中に病死した。


承和の変(じょうわのへん)
承和の変(じょうわのへん)

842年

藤原良房が皇位継承の問題に絡み、謀反の疑いなどで競争相手である他氏族の有力者、および同じ藤原氏の競争相手を流罪や失脚に追い込んだ事件。藤原氏による最初の他氏排斥事件といわれる。これにより、藤原氏は繁栄の基礎を築いた。橘逸勢は伊豆へ流罪となった。

藤原冬緒(ふじわらのふゆお)
藤原冬緒(ふじわらのふゆお)

808年 - 890年6月14日

公卿。

政府の財源確保を目的に879年官田(かんでん)の設置を提案し、元慶官田(がんきょうかんでん)が設置された。


菅原道真(すがわらのみちざね)
菅原道真(すがわらのみちざね)

845年8月1日 - 903年3月26日

学者、政治家。

唐の混乱や日本文化の発達を理由にして894年に遣唐使を廃止したよ。当時の天皇に気に入られて学者としては珍しく出世しまくったから、他の貴族に嫉妬されて九州の大宰府へ役人として飛ばされて、のち亡くなったよ。そしたら、都で疫病や天災が相次いで「菅原道真のタタリでは!?」と言われて、タタリを鎮めるために太宰府天満宮が作られたよ。

参考
太宰府天満宮

国風文化(こくふうぶんか)
国風文化(こくふうぶんか)

遣唐使が廃止されたことをきっかけとして生まれた、日本の風土に合った日本独自の文化のこと。


仮名文字(かなもじ)
仮名文字(かなもじ)

漢字から作られ、女性の間で流行った文字。

紀貫之(きのつらゆき)
紀貫之(きのつらゆき)

866/872年頃 - 945年6月30日?

歌人・貴族。覚え方は、木の顔と雪の体を持つ「きのつらゆき(木の顔雪)」。「古今和歌集」の選者の一人だよ。


古今和歌集(こきんわかしゅう)
古今和歌集(こきんわかしゅう)

日本最古の勅撰和歌集(天皇の命令によって作られた歌集)。「勅撰(ちょくせん)」には「天皇や上皇の命令によって文章を編纂すること」みたいな意味がある。

紀貫之が中心となって編纂した。覚え方は『木の顔と雪の体を持つ「きのつらゆき(木の顔雪)」が雪の力を使って書いた、触るとコキンと固まるほど冷たい和歌集』です。

高麗(こうらい)
高麗(こうらい)

918年 - 1392年

この頃に朝鮮半島を統一した王朝。


藤原純友(ふじわらのすみとも)
藤原純友(ふじわらのすみとも)

893年? - 941年7月21日

貴族であり海賊でもある藤原純友だよ!939年に瀬戸内海で武士を率いて反乱を起こしたよ!

平将門(たいらのまさかど)
平将門(たいらのまさかど)

? - 940年3月25日

顔が平ら(たいら)の平将門!関東の豪族だよ!935年に関東地方で武士を率いて反乱を起こしたよ!


承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)
承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)

平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱と瀬戸内海の藤原純友の乱の総称。先に平将門の乱が鎮圧され、その後、藤原純友の乱が鎮圧された。

空也(くうや)
空也(くうや)

903年 - 972年

僧。市聖(いちのひじり)、阿弥陀聖(あみだひじり)と称される。諸国を廻った後、京都に落ち着き布教。民間における浄土教の先駆者と評価される。


藤原道長(ふじわらのみちなが)
藤原道長(ふじわらのみちなが)

966年 - 1028年

こんばんは。藤原道長だよ。この道、長くない?摂関政治の全盛期に「この世は自分のためにあるようなものだ。満月のように、欠けているものなど何一つない(この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば)」という歌を読んで調子に乗りまくってました。

紫式部(むらさきしきぶ)
紫式部(むらさきしきぶ)

生没年不詳

平安時代中期の女性作家。歌人。「源氏物語」を書いたことで有名。


源氏物語(げんじものがたり)
源氏物語(げんじものがたり)

「光源氏」っていう人が、ただひたすらモテてモテてモテまくる話。

紫式部が書いた。

清少納言(せいしょうなごん)
清少納言(せいしょうなごん)

966年頃 - 1025年頃

平安時代中期の女流作家、歌人。

随筆「枕草子」を書いたことで有名。


枕草子(まくらのそうし)
枕草子(まくらのそうし)

「春なら夜明けが好き。徐々に白くなっていく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのとかマジで好き。夏は夜が好き。満月の頃は言うまでもなく、新月の頃でも、ホタルが飛びちがっているのとか、良い感じじゃない?」と、ただひたすら自分が好きなものに関して書いてる随筆。

清少納言が書いた。

定朝(じょうちょう)
定朝(じょうちょう)

? - 1057年9月2日

仏師。

寄木造技法の完成者とされ、定朝以降に仏像の量産と大型化が進んだ。


藤原頼通(ふじわらのよりみち)
藤原頼通(ふじわらのよりみち)

992年 - 1074年3月2日

公卿・歌人。

こんにちは!寄り道大好き!藤原頼通です!藤原道長の長男です!宇治に平等院鳳凰堂を建てたよ!

平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)
平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)

京都府宇治市に藤原頼通が建てた寺院。この時期「仏教の教えが廃れて世の中が乱れる時代が始まる」という思想(末法思想)が広まり、極楽浄土に行くために盛んに寺院・絵・彫刻などが作られた。平等院鳳凰堂もそれらのうちの一つである。現在は世界遺産に登録されている。

参考
世界遺産 平等院


後三条天皇(ごさんじょうてんのう)
後三条天皇(ごさんじょうてんのう)

1034年9月3日 - 1073年6月15日(在位:1068年5月22日 - 1073年1月18日)

第71代天皇。宇多天皇以来170年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇。

違法荘園の整理のために1069年延久の荘園整理令を発布し、その審査を行う機関として記録荘園券契所を設置した。

源氏(げんじ)
源氏(げんじ)

平安時代後期に二度に渡る蝦夷の反乱で活躍し関東地方に大きな勢力をもった武士団。絵は原始人(げんん)のイメージ。


平氏(へいし)
平氏(へいし)

平安時代後期に京都周辺から西日本にかけて大きな勢力を持った武士団。

院政(いんせい)
院政(いんせい)

天皇が皇位を譲った後も上皇となり、天皇に代わって政治を行うこと。上皇のことを院とも言うので、院政と言われる。


知行国主(ちぎょうこくしゅ)
知行国主(ちぎょうこくしゅ)

有力貴族・有力寺社・有力武家が特定の国の支配権を与えられ、その国から得た収益の大部分を得た。この国、および制度を知行国と言い、この支配権を得た者のことを知行国主という。

白河上皇(しらかわじょうこう)
白河上皇(しらかわじょうこう)

1053年7月7日 - 1129年7月24日

こんにちは!白河上皇だよ!第72代天皇(在位:1073年1月18日 - 1087年1月3日)だよ!名前からして河を操る能力があるに違いない!1086年に上皇となって院政を始めたよ。


六勝寺(ろくしょうじ)
六勝寺(ろくしょうじ)

「法勝寺(ほっしょうじ)」「尊勝寺(そんしょうじ)」「最勝寺(さいしょうじ)」「円勝寺(えんしょうじ)」「成勝寺(じょうしょうじ)」「延勝寺(えんしょうじ)」の六つの御願寺。それぞれの寺は代々の天皇が一つずつ建立した。中でも一番最初に建てられた白河天皇による法勝寺は後に作られたものに比べて筆頭寺院として最大の規模を誇った。応仁の乱以降、全ての寺は廃絶した。

奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)
奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)

1087年から源頼朝に滅ぼされる1189年までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族。


中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)
中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)

奥州藤原氏が岩手県の平泉町に建立した、中尊寺にある仏像。

参考
金色堂 | 関山 中尊寺

富貴寺大堂(ふきじおおどう)
富貴寺大堂(ふきじおおどう)

富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた寺院。中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されている。院政期には地方でも阿弥陀堂が建てられた。

参考
富貴寺(ふきじ) | 観光スポット&お店情報 | 昭和の町・豊後高田市公式観光サイト


崇徳天皇(すとくてんのう)
崇徳天皇(すとくてんのう)

1119年7月7日 - 1164年9月14日

こんにちは。崇徳天皇です。第75代天皇(在位:1123年3月18日 - 1142年1月5日)です。天皇の後、上皇になって、なんかいい感じに生活してたんだけど1156年7月29日に後白河天皇とケンカになって戦ったよ(保元の乱)。

後白河天皇(ごしらかわてんのう)
後白河天皇(ごしらかわてんのう)

1127年8月23日 - 1158年9月5日

こんにちは。後白河天皇です。第77代天皇(在位:1155年8月23日 - 1158年9月5日)です。1156年7月29日に崇徳上皇とケンカになって戦ったよ(保元の乱)。


保元の乱(ほうげんのらん)
保元の乱(ほうげんのらん)

1156年7月29日

皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇と崇徳上皇に分裂し、双方の武力衝突に至った政変。後白河天皇が勝利した。この公家の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。

平清盛(たいらのきよもり)
平清盛(たいらのきよもり)

1118年2月10日 - 1181年3月20日

武将・公卿。

こんにちは。名前がタイラノキヨモリなので、平らの顔と木の体を持つよ。平氏の棟梁だよ。保元の乱で活躍して後白河天皇の信頼を得て、その後、平治の乱で最終的な勝利者となって、武士としては初めて太政大臣に任じられたよ。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通過経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てたよ。


源義朝(みなもとのよしとも)
源義朝(みなもとのよしとも)

1123年 - 1160年2月11日

河内源氏の武将。

こんにちは。義朝です。キャラクターは太陽のイメージ。東国武士団を率いて保元の乱で戦功を挙げ、左馬頭に任じられて名を挙げるが、3年後の平治の乱で藤原信頼に与して敗北し、都を落ち延びる道中尾張国で家人に裏切られ謀殺された。

平治の乱(へいじのらん
平治の乱(へいじのらん

1160年

院近臣らの対立により発生した政変。平清盛が源義朝に勝利した。


宋(そう)
宋(そう)

960年 - 1279年

10世紀後半に中国を統一した王朝。

日宋貿易(にっそうぼうえき)
日宋貿易(にっそうぼうえき)

平清盛が中国と行った貿易。遣唐使が停止(894年)されて以来の日中交渉。また、清盛は貿易のための港を現在の神戸市に作った。輸入品は唐物として珍重されるようになった。


大輪田泊(おおわだのとまり)
大輪田泊(おおわだのとまり)

兵庫県神戸市兵庫区に所在していた港。和田泊(わだのとまり)ともいう。日宋貿易日明貿易(勘合貿易)で栄えた。

朱子学(しゅしがく)
朱子学(しゅしがく)

この頃の中国で起こった、儒学をもとにした新しい学問。


厳島神社(いつくしまじんじゃ)
厳島神社(いつくしまじんじゃ)

広島県にある神社。平清盛が整備する以前から存在するが、平清盛が厚く崇敬し、大規模な社殿を整えた。ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

参考
国宝・世界遺産 嚴島神社 【公式サイト】

源頼朝(みなもとのよりとも)
源頼朝(みなもとのよりとも)

1147年5月9日 - 1199年2月9日

源義朝の三男だよ。平清盛の政治には貴族、寺社、武士がみな不満を抱いていたので、挙兵して、1185年に壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼし、鎌倉幕府の初代征夷大将軍になったよ。


壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)
壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)

1185年

源氏が平氏を滅ぼした戦い。絵は「階段の裏の戦い」。

源義経(みなもとのよしつね)
源義経(みなもとのよしつね)

1159年 - 1189年

武将。源頼朝の異母弟。

壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした。その後、頼朝と敵対し、自害した。


藤原隆信(ふじわらのたかのぶ)
藤原隆信(ふじわらのたかのぶ)

1142年 - 1205年

貴族・歌人・画家。

似絵(大和絵系の肖像画)の名手。