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飛鳥時代(592年 - 710年)

飛鳥時代(あすかじだい)
飛鳥時代(あすかじだい)

592年 - 710年

鳥が飛ぶ時代!飛鳥時代!6世紀中葉から7世紀前半の約1世紀を指します。飛鳥っていうのは、実は地名で、飛鳥とその周辺の奈良盆地南部(奈良県)に都があったことから名付けられました。

物部守屋(もののべのもりや)
物部守屋(もののべのもりや)

?年 - 587年

蘇我馬子と仲が悪かった。「仏教とか怪しいわー」って言ってたら蘇我馬子に滅ぼされた。ひどい……。ちなみにこのキャラクターは盾をイメージして描いています(名前に「守る」の文字があるから)。


蘇我馬子(そがのうまこ)
蘇我馬子(そがのうまこ)

?年 - 626年

馬子っていう名前やけど男やで?

仏教大好き派なので、仏教が好きじゃない派の物部守屋っていう人を滅ぼしました。その後、推古天皇と厩戸皇子と共に政治を色々頑張りました。

飛鳥寺(あすかでら)
飛鳥寺(あすかでら)

596年

奈良県高市郡明日香村にある寺院。蘇我氏の氏寺。蘇我馬子が596年に建立した。


推古天皇(すいこてんのう)
推古天皇(すいこてんのう)

554年 - 628年

第33代天皇。

初めての女性天皇です。

厩戸皇子(うまやどのおうじ)
厩戸皇子(うまやどのおうじ)

574年 - 622年

馬を飼う小屋……すなわちウマヤで生まれたので厩戸皇子と名付けられました。603年に冠位十二階、604年に十七条憲法などを作ったよ。また、仏教を深く信仰し、法隆寺を作ったりしたよ。死後、私のことは聖徳太子(しょうとくたいし)と呼ばれるようになりました。


冠位十二階(かんいじゅうにかい)
冠位十二階(かんいじゅうにかい)

603年

冠(かんむり)の色で、偉さが分かる制度。12段階の偉さがある。

十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)
十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)

604年

聖徳太子が作った法令。


法隆寺(ほうりゅうじ)
法隆寺(ほうりゅうじ)

607年

聖徳太子が作ったお寺。現存する世界最古の木造建築物。普通に観光で行けるから、皆もぜひ行こう。

聖徳宗総本山 法隆寺

飛鳥文化(あすかぶんか)
飛鳥文化(あすかぶんか)

飛鳥時代の7世紀半ば頃に飛鳥地方で栄えた文化。遣隋使や渡来人などによって海外の文化が伝えられました。また、聖徳太子が仏教を強く勧めたこともあって、日本で最初に仏教の影響を受けた文化です。


煬帝(ようだい)
煬帝(ようだい)

在位604年 - 618年

隋(ずい)の皇帝。隋っていうのは、この時代の中国の国名。私が皇帝になる前に一回目の遣隋使が来たらしいけど、政治制度がダサかったから追い返したらしい。私が皇帝になってから来た二回目の遣隋使が派遣された時は、冠位十二階と十七条憲法を作ってから来たので、なかなか頑張っとるやんけ、って思ったね。

小野妹子(おののいもこ)
小野妹子(おののいもこ)

生没年不詳

607年に第二次遣隋使として日本から隋に派遣されたんだけど、持ってった手紙に『太陽がヤッホーするところの天子である私から太陽がバイバイところの天子であるあなたに届け!はい!つかみはオッケー。っつーことで――』って書かれてたから、煬帝さんに「なんか大国の皇帝である俺が小国のお前んところの王と対等っぽくない?ケンカ売ってんの!?」って私が手紙書いたわけじゃないのに怒られました。理不尽。


高向玄理(たかむこのくろまろ)
高向玄理(たかむこのくろまろ)

? - 654年

飛鳥時代の学者。遣隋使、小野妹子に同行した。640年に30年以上わたる留学を終えて帰国。645年の大化の改新後、国博士(くにのはかせ)という政治顧問になり、唐の諸制度を輸入、制度化するなど活躍した。

蘇我蝦夷(そがのえみし)
蘇我蝦夷(そがのえみし)

?年 - 645年

蘇我馬子の子供。大臣として権力をふるって調子乗ってたけど子の蘇我入鹿が乙巳の変で殺された後、自殺した。


蘇我入鹿(そがのいるか)
蘇我入鹿(そがのいるか)

?年 - 645年

蘇我蝦夷の子供。大臣として父親よりも権力をふるって調子乗ってたけど645年に中大兄皇子らに「調子のんなよ!」って殺された。殺された事件のことを乙巳の変(いっしのへん)という。

中臣鎌足(なかとみのかまたり)
中臣鎌足(なかとみのかまたり)

614年 - 669年

中臣鎌足っていう名前だけど、後に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)っていう名前になります。蘇我氏が調子に乗ってたので、「このままだと日本がマジヤバイ」と思って中大兄皇子と一緒に645年に蘇我入鹿を殺しました(乙巳の変)。その後、政治も色々改革した。蘇我氏を滅ぼしてから政治改革を行うまでの全てをまとめて大化の改新(たいかのかいしん)といいます。


中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)

626年 - 671年

蘇我一族が調子乗ってたので、645年に中臣鎌足と共に蘇我一族を倒し、その後政治改革を行う。蘇我氏を倒してから行った政治改革までをまとめて大化の改新という。白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗すると、西日本の防御態勢を強化した。

公地公民(こうちこうみん)
公地公民(こうちこうみん)

645年

大化の改新によって示された「土地と人民はすべて国のものだよ。げっへっへ」という改革方針。


陵戸(りょうこ)
陵戸(りょうこ)

645年

律令制において中国に倣って日本は国民を良民と賤民に分けた(良賤の法)。賤民には5種類あった(五色の賤)が、陵戸はそのうちの一つで、天皇・皇族の陵墓を守る者。

百済(くだら)
百済(くだら)

朝鮮半島西部、および南西部にあった国家。660年に唐・新羅連合軍によって滅亡した。百済から亡命貴族が来日し、彼らによってもたらされた漢詩文は、国内では中国的教養として重視された。


白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)
白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)

663年

百済を復興しようとした日本・百済遺民連合軍と、唐・新羅連合軍の戦い。唐・新羅連合軍の勝利。これにより、日本は新羅との関係が険悪となったため、のちに行われる遣唐使の航路は朝鮮半島沿岸を通る『北路』から、東シナ海を横断する『南路や南島路』に変更せざるをえなくなり、遭難の危険性も増大した。

天智天皇(てんじてんのう)
天智天皇(てんじてんのう)

626年 - 671年(在位668年 - 671年)

第38代天皇。

中大兄皇子が668年、天皇に即位し、天智天皇となる。


庚午年籍(こうごねんじゃく)
庚午年籍(こうごねんじゃく)

670年

天智天皇が作成させた永久保存するとした戸籍。現存していない。

大友皇子(おおとものみこ)
大友皇子(おおとものみこ)

648年 - 672年

天智天皇の子。大海人皇子との間に権力争いが起き、壬申の乱で敗れた後、自殺した。


大海人皇子(おおあまのみこ)
大海人皇子(おおあまのみこ)

631年? - 686年

天智天皇の弟。大友皇子との間に権力争いが起き、壬申の乱で勝利。

壬申の乱(じんしんのらん)
壬申の乱(じんしんのらん)

672年

皇位継承をめぐる内乱。大友皇子と大海人皇子が争い、大海人皇子が勝利した。


天武天皇(てんむてんのう)
天武天皇(てんむてんのう)

631年? - 686年(在位673年 - 686年)

第40代天皇。

天智天皇の弟。壬申の乱で勝利。翌年、飛鳥浄御原宮で即位して天武天皇となり、専制君主として律令国家の建設を推進した。

班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)
班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)

飛鳥時代後期から平安時代前期に行われた制度。

唐(当時の中国の国名)の律令制を参考に、6年ごとに整備する戸籍に基づいて、満6歳以上の男子には2段、女子には3分の2の口分田(くぶんでん)を貸し与えた。

要するに「田んぼを貸してあげるからこの田んぼで作業してね。収穫したら、3%を税として徴収するよ」っていう制度。「3%を税として徴収」したやつを「(そ)」という。


条里制(じょうりせい)
条里制(じょうりせい)

ある範囲の土地を約109m間隔で直角に交わる平行線(方格線)により正方形に区分する土地区画制度。

大宝律令(たいほうりつりょう)
大宝律令(たいほうりつりょう)

701年

文武天皇の時に唐の法律にならって制定された日本で初めての本格的な律令(法体系)。律は刑罰のきまりで、令は政治を行う上での様々な決まり。律令をもとに政治を行う国を律令国家という。


元明天皇(げんめいてんのう)
元明天皇(げんめいてんのう)

661年 - 721年

日本(飛鳥時代 - 奈良時代)の第43代天皇。女帝。

私が天皇の時に奈良に都を移して平城京としました。